コンテンツ化された苦悩

憎み憎まれて生きるのさ

24歳ニートの人生がダメになっていくドキュメンタリーです

自己療養へのささやかな試みにすぎない千文字

彼女ができて、仕事があって毎日働いて月に何回かはセックスできて、ニート時代とは比べものにならないくらいQOLが爆上がりしたはずなのに、俺はなんでブログなんて書いてんだろう。マッチングアプリでセフレができたかと思えば、なんとなくいやになって連絡を絶ってみたり。眠れなくなったり、身体からキモいじんましん(原因は寝不足かストレスか。)がでたり、意味がわからない。

4月から職場が変わって、またもやストレンジャーな俺は、奇跡的にジョブがある貴重な1年間をどう過ごせばいいのか。仕事がボロボロなぶんプライベートは自由気ままにやっているけど、来年からはまた無職になってしまう。必然的に付き合っている彼女に愛想つかされるにちがいない。それまで付き合ってるかもわからないが。不幸せな展開がすぐそばにあるけどそれはそれとして今は楽しい。

この春からギターを練習してみたり、アメリカ製のシャツを集めたり、筋トレを始めたり、短歌詠んだり、Tシャツを作ったり、カメラに興味を持ったり、地下アイドルの現場(これは今日のことだけども)に行ってみたり、新しいことに手を出しては飽きて、こういうところが自分でもつくづく積み上げられない性格だなあと思う。

その多角化戦略の一環でこのブログを更新してみたり。ブログしばらく書いてなかったので、また書き方を忘れてる。気負って書くと続かないので1000文字くらいの軽いやつを、暇があるときに書いていきたい。

仕事のこと詳しく書けないと、社会人てほとんど話すことがない。

いまの仕事は、前働いていたところと全く違うルールに則って動いてるので、適応力に乏しい俺は早くも死にそうである。紹介してくれた人のメンツを潰さないためにしか頑張りを出せない。向いてない仕事に日々消耗し、「モラルってなに?」「コミュニケーションてなに?」と自分の胸に問うばかりの毎日である。働き始めてから、漫画、小説、映画などの物語を以前より必要としなくなった。頭でっかちで出不精だったニート時代に比べて、腰が軽くなったというか実際的な人間へと成長しているのかもしれない。

「クォーターライフ・クライシス」という言葉を知っているだろうか。俺は2〜3日前に知った。

四半世紀を生きた20代から30代にかけて経験する精神的な重圧を指してquarter life crisisと言う。大学を出て自分のキャリアを選び社会に出る時に味わう事が多いとされる。

25歳くらいから感じる、アイデンティティの危機。「人生これでいいのか?」ってなることらしいけど、そもそも俺は同じ仕事一年続けたことがないからこれに該当するのかな。人生の4分の3どころか来年の就労にも事欠く始末なのに。不安定。かといってパンクロッカーのように刹那的に生きるにも遅すぎる年齢な気がする。

 

冬の朝 逃げ道なんかないことをぼくが君から教わったのは

(前作った短歌)

 

もちろん問題は何ひとつ解決してはいないし、語り終えた時点でもあるいは事態は全く同じということになるかもしれない。結局のところ、文章を書くことは自己療養の手段ではなく、自己療養へのささやかな試みにしかすぎないからだ。

村上春樹

 

サラダ記念日

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