コンテンツ化された苦悩

憎み憎まれて生きるのさ

23歳ニートの人生がダメになっていくドキュメンタリーです

拠る辺なさなんてのはいつものことだろ

〝ここにあるものでおまえのものはおまえだけさ〟。そうかもしれないが、おれは自分のものであるおれと、ずいぶん折り合いが悪かった。おれは普段はろくに口もきけなかったし、自分と折り合いの悪い理由を説明することもできなかった。おれはおれからトンズラしたかった。

中島らも 「永遠も半ばを過ぎて」

 生きるのがつらくなったとき、いつもこの小説のことを思い出す。

 まず「永遠も半ばを過ぎて」というタイトルが素晴らしいと思う。超キラーフレーズ。概念として果てのないはずの永遠の「半ば」ってのがヒネりが効いてて恰好よくないですか。「永遠も半ばを過ぎて」というのは作中に登場する架空の小説のタイトルでもある。

 主人公の写植屋(ワープロに活字を打ち込む仕事)が詐欺師になった同級生と再会して、面倒に巻き込まれることになる。(巨大タニシを預けられたり部屋に居候されたり金をせびられたり)

  眠れない写植屋が詐欺師の常用してる睡眠薬をもらうが、オーバードーズでラリったせいで無意識のうちに「永遠も半ばを過ぎて」という小説を書きあげてしまう。それを「幽霊の書いた小説」として出版社に売り込むために、写植屋と詐欺師というニッチな職業の2人が即席のタッグとして手を組む。そういう意味ではバディものと言えなくもない。中学生の時になんとなく手に取って買ったけど、二十歳超えて読んだ方がなにかと沁みる。主人公が内気かつ孤独だったり口下手だったら、その時点で無条件で感情移入してしまう。

「えっ。ユーレイが小説を書いたの!?」巨大タニシの母貝1個1億円の商談をしくじった三流詐欺師の俺にも、運がめぐってきたようだ。謎の原稿を出版社に持ち込んだところ、文壇の大事件に発展し…。うふふ。ここは腕の見せどころ。輪舞するコメディ。あふれ出る言霊。待ってましたの痛快らもワールド。

 文庫のあらすじだと、詐欺師の方に焦点あてていて軽い感じなのに。うふふとか、痛快らもワールドとか。たしかに、笑える場面も結構ありますけどね。写植屋視点だともっと内省的というか、それまで孤独にひたすらワープロだけを打ち続けてきた男が、騒動を通して一歩ずつ世界に踏み出していく話として秀逸なんすよ、と力説したい。口下手(無口)な男が、語り始める瞬間ってそれだけでドラマチックじゃないですか。「カッコーの巣の上で」のガム渡すシーンとか「英国王のスピーチ」とか。「リトル・ミス・サンシャイン」の長男がキレるシーンとか。この小説はそういう瞬間が好きで好きで仕方ない俺には堪らん。

 面接落ちまくりクソニートの俺としては、「口の上手い下手ってなんなんだろう」と考えてしまう。っていうかコミュニュケーション全般がもう手に負えない。お手上げです。自分の言いたい事を過不足なく伝えるのが苦手で仕方ない。俺の話すことなど結局、他の人にはなにひとつ伝わってないのかもしれないんじゃないかっていつも思う。話せば話すほど会話の意味が薄れていくなら最初から喋んないほうがマシな気がしてくる。こういう態度がそもそもいけないのかな。<述べ足り内/述べ切れ内>になって<NOVELLA例無い>になって<脳辺那井>になって、今、<もうお前とは喋ってやんねー世>やってる。と言える。

  この小説の主人公の写植屋も冒頭に引用したようにコミュニュケーション不全を抱えていて極力知らない人と関わらないように生きてるけど、そこにある意味コミュニュケーションの達人である詐欺師が無理やり介入してきて変化が生じていく。「永遠の半ばを過ぎて」が心を揺さぶってくるのは、「おれには何も言いたいことなんてない」と言っていたはずの主人公がものすごく絶妙なタイミングで、それまで誰にも話したことがないであろう自分の人生哲学を語り始めるところ。その一連の台詞が、このくだりなんだけど、何回読んでもしびれる。

おれは、岩や水の方がうらやましい。生きているってのは異様ですよ。みんな死んでるのにね。異様だし不安だし、水のなかでもがいているような感じがする。だから人間は言葉を造ったんですよ。卑怯だから、人間は。
中島らも 『永遠も半ばを過ぎて』

  「生きること」の拠る辺なさを吐き捨てるみたいに語り出す写植屋。15年間ひたすら1人で文字を打ち続けたからこそ、こういう答えまでたどり着けたんだなって。でも、それを言葉にして打ち明けた時点で、この写植屋はそれまでの人生の中にとじ込めていた自分の心情を他者にぶつけようと、世界に歩み寄ってるわけじゃないですか。そういう一瞬ってヒップホップですよね。自分の人生と折り合いがつかずに糞みたいな文章をこんなブログで垂れ流してる俺のようなボンクラがこの場面を読むと、眩し過ぎてうああってなる。

 

 この他にも詐欺師パートの無駄にリアリティある犯罪描写とか、ラリっててなお美しい作中作の文章とか見どころは多い。写植屋がオーバードーズでハイになってるとこを打ち込むワープロの文章で表現してる部分とか実験的で面白い。一人称の語りとワープロの文章が段々とシェイクされていってドライヴ感がある。「アルジャーノンに花束を」的な?(読んだことないけど)

 あとこの作品、けっこう昔に映画化されてるんだけど、残念なことにビデオしかなくてDVDになってない。youtubeで予告を見る限り原作をかなり忠実に再現してるっぽくて気になる。ただワープロのキーボードが「え?オモチャ?」って感じで笑えるほど大きい。昔ってこんな大きかったのかな。

youtu.be

 

 

余談だけど、生きてる人間が書いたとは思えない文章と言えば、笹井宏之の短歌を連想する。

あとほんのすこしの辛抱だったのに氷になるだなんて ばか者  

さようならが機能をしなくなりました あなたが雪であったばかりに

 短歌版「永遠も半ばを過ぎて」って感じがして好き。べつに笹井宏之さんはドラッグもアルコールもやっていないと思うけど、どうやったらこんな人並み外れたぶっ飛んだセンスで、透き通るような瑞々しい短歌を紡げるんだろうか。世界の裏側に隠れている暗号をひっそりと解読してるような不思議な読後感がある。

 

言葉なんてただのインチキ手品や。言葉なんてな、犬が無理矢理着せられとる服みたいなもんや。なんぼしゃべくっても誰とも繋がらへんで、でもしゃべっとらんと自分が独りやって気づいてまう。みんなそれが怖あてしゃべっとるだけや。臆病モンや、アホやでホンマ。でも犬は自分で服脱がれへん、どんなボロ服着とっても。

うめざわしゅん 「渡辺くんのいる風景」

 

 

永遠も半ばを過ぎて (文春文庫)

永遠も半ばを過ぎて (文春文庫)