コンテンツ化された苦悩

憎み憎まれて生きるのさ

23歳ニートの人生がダメになっていくドキュメンタリーです

ニートが教員採用試験を受けてきた話

 私はいつも神様の国へ行こうとしながら地獄の門を潜ってしまう人間だ。ともかく私は始めから地獄の門をめざして出掛ける時でも、神様の国へ行こうということを忘れたことのない甘ったるい人間だった。私は結局地獄というものに戦慄したためしはなく、馬鹿のようにたわいもなく落付いていられるくせに、神様の国を忘れることが出来ないという人間だ。私は必ず、今に何かにひどい目にヤッツケられて、叩たたきのめされて、甘ったるいウヌボレのグウの音も出なくなるまで、そしてほんとに足すべらして真逆様に落されてしまう時があると考えていた。

 坂口安吾「私は海を抱きしめていたい」

 ねえ、悪い冗談みたいじゃありませんか。ろくに外に出れないないような無気力人間でニート。公務員試験の面接でしどろもどろになって結局落ちたこの俺が教員採用試験だなんて。そんなバカな話が。ヒモがティッシュバンジージャンプより無謀な挑戦ですと誰かに止めてもらいたかった。本当に。あれは大学1年生の春、友達に誘われて教職課程をなんとなく履修したら、3年くらいで友達がドロップアウトして、結局俺一人で取ることになった教員免許。日本文学科とかいう社会不適合者養成所で唯一の戦利品ともいえる資格ですけどさあ。死ぬほど、取るのめんどくさかった。そもそも教師という仕事に何の興味もなかった。そういう中途半端なモチベーションで教職課程に進むことがどれほどの苦難か。例えるなら田亀源五郎のSM漫画くらいの苦難。すいません、ちょっと嘘つきました。まず、周りの人の熱意についていけない。みんなしりあがり寿の書く美形キャラみたいな目の輝かせ方して、前のめりというかグイグイ来る感じがいささか暑苦しくて、それを「うわー、やっとんなあ」みたいに内心バカにしながら過ごすのがつらかった。この場合、俺の性格が腐ってんのかな。教職の授業って事あるごとにグループワークとかディスカッションがあってそういう場で話すたびに『ヒストリエ』の「わからない……文化がちがう!」というセリフが頭の中で暴れちまって仕方なかった。もちろん成績も不可スレスレの超低空飛行であった。国語科教育法という授業では、実際に生徒が模擬授業をやって授業のやり方を学ぶんですけど…。それを2回履修しないと教員免許もらえないんで、たしか2年に1回、4年にもう1回受けたんですよ。でも教育実習行った後に受けた4年の方が成績が悪くて「え?俺教育実習に行ったことによって教員としてのアレが退化してるの?というか2年の時は俺、模擬授業をやらなかったのに、なんで模擬授業やった4年の方が成績悪いの?俺の模擬授業が成績下げたくなるほど酷かったってこと?このクオリティの授業で3週間堂々と教壇に立った俺は筋金入りのマザファッカ教師だったってことなの?ねえ?」と教授に詰め寄りたくなったりして、「俺は4年になって模擬授業やらされたのに、2年の模擬授業やらなかった時の成績より悪くなるくらい教師向いてない」という事実を突き付けてくる大学生活であった。だから、4年生の時も就活一本で教員採用試験は受けなかった。(なぜか、大学卒業間際に教育実習に行った母校から「人足りないから非常勤講師やらない?」と誘われたけど内定が決まっていたので断ってしまった。今考えるとそれにOKしていれば入社3ヶ月で会社を辞めてニートをやっている現状はありえなかった。感慨深い。ここでまず人生の選択を誤ったのかもしれない。)

 そもそもなんでニートのくせに教員をやりたくないか、を説明するとするならですね、両親が両方とも教員をやっているからであって、それが全てなんです。子は親の背中を見て育つなんていいますけど、子育てと教育は全く別の領域であって、教師が子育て下手なんてよくある話なんですわ、これが。以前何かの本に「両親が教員をやっている子どもは不登校になりやすい」と書いてあるのを読んだけど、それを見て「ヘウレーカ!」と叫びながら街を走り回りたくなりました。これが真実だとすると、俺の人生の妙な塩梅のツイスト具合は両親の育て方が良くなかったのでは?私立大学まで通わせてくれて育ててくれたのは、感謝してもしきれないが、「両親のような大人になりたい」とはあまり思ったことがない。実際のところ。なにが嫌かは上手く言えないけど。これは俺の家庭のパーソナルな問題であって、両親の職業がどうとかは関係ないのかな?分からない。両親が教員で納豆嫌いで左利きでみずがめ座でB型で、なにが人生に悪いんだろう。教えてほしい。

 仕事を辞めてからニート生活を続けるにあたって親との熾烈なパワーゲームが日夜繰り広げられていた。

 一年間も働かず予備校に通っておいて、もし公務員試験に全部落ちていたら親からの説教は避けがたい。最悪、「就活をしろ」という禁じられたワードが解禁されるかもしれない。思うだけならまだしも、それを言われたら戦争になってしまう。それは絶対に回避したかった。なので公務員試験が終わった後に間髪入れず教員採用試験を受けることは親からの就活しろ攻撃を遅らせると共に、教員をしている両親の自尊心をくすぐる一石二鳥の妙案だったのだ、この選択は。とはいえ、教員採用試験に向けての勉強は一切やってなかったので、せいぜい一次試験で落ちるだろうなと思っていた。

 甘かった。俺の全然発揮するべきではないところで発揮される天才的な冴えを考慮していなかった。一次試験は公務員試験のようなマークシート方式で、教養試験と教科試験に分かれていて、教養の方は公務員試験で勉強していた知識が微妙に使えたのが良かったのかもしれない。それに加え公務員試験の勉強をサボって図書館で大人計画の戯曲とナンシー関のエッセイを読みふけっていたおかげで国語力がついたらしく教科試験も奇跡的になんとかなってしまった。ありがとう、松尾スズキナンシー関

 とまあ、こんな具合でニートが教員採用試験の二次に進むという意味不明なシチュエーションを作りだしてしまった。公務員試験に落ちてヤケクソのメンタルで受けることになった二次試験は個別面接と模擬授業と論文(なぜか一次試験の時に書かされる)らしい。やはり、ここでも立ちはだかったのは面接。俺は気づいた。気づいてしまった。人生は面接が全てなのだと。とりあえず自分のありのままを素直に表現できれば、なんのひっかかりもなく落ちると思ったので、そうした。ありのままというのはつまり緊張でしどろもどろになるということである。中原中也はコネでNHKの面接に行ったとき、履歴書を「詩生活」とだけ書いたせいで落とされたという。俺はそこまでアナーキーにはなれなかったけど、緊張で脳みその調子が著しく悪かったので普通にポンコツであった。俺にとって普通にポンコツというのは普通の人からしたらかなりダメな感じであった。

 模擬授業。模擬授業ってなんだよ。いくつかのテーマを当日発表されて、ほんの僅かな準備時間を与えられその後アドリブで5分授業してくださいみたいな無茶ぶりだった。そんなこと言われても…と言いたくなった。案の定、「英国王のスピーチ」のオープニングの場面みたいになった。

 ニートが教員採用試験を受けてきた話」このタイトルを読んだ瞬間、脳裏によぎる隠しようのない死亡フラグの予感。死神が背後で笑ってる。どうだろう。もう歯が立たない。現実にあるものすべてが俺より強い気がする。どうしようもない。毎日、死ぬほど暇だったけど、ブログを書く気力すら湧いてこなかった。脳みその悪いところをドリルかなんかでトレパネーションしてほしい。たぶんセロトニンの分泌が足りてないんだ。小学校3年か4年生の時、滑って転んで後頭部をしたたか打ちつけて何針か縫った。あの時に脳みそが…脳みそになんかあったんじゃないの!?

 おそらく落ちるものだと思いながら、ちゃんと自分の足で歩いて試験会場に行き、自分の脳みそを総動員して恥をかき、教員採用試験を全うした。結果はともかく。俺は頭がおかしいんだろうか。この期に及んで人生に手を抜いている自分が怖い。こんな事態になるまで、なぜ手を打たなかったのだろう。どうして両親が教員なのにこんな教員向きじゃない人間に育ってしまったんだ。

 おそらく落ちているだろうが、今回の経験をもとにこうしてブログを書くことができた。ニートが教員採用試験で爆死して何が面白いんだろうという気持ちはあるが、この文章を読んだ各々が面白さを見出してほしい。氷山にぶつかって沈没しかかっているタイタニック号の上で演奏を続けていた楽団のような心境でこの文章を書いている。もう「ニートが~をしてみた」系の話はつらい。大体が終わった後の俺に多大なダメージを残す。次に書くとしたら「内臓売ってみた」とか「宗教に救われた」とかそういう話になりそう。

 23歳の夏休み。どこにも行かない。予定がないからね。毎日が昨日と同じところを堂々巡りしている。この夏が永遠に続いてほしい。そんな風に思っていたが昨日から涼しくなってきて、一生で過ごす夏の一回をものすごく無意味に浪費した感じと、サンダルを一回も履かずに夏が折り返しゾーンに突入してしまってもったいない感じがあった。

  教員採用試験を受ける人にとってタメになる記事を書こうと思ったが結局またこういう文章になってしまった。試験の結果は10月に分かるらしい。

 

人生と生活を軽蔑しきることができるのは、少年の特権です。
先生にあわれみをもつがよろしい。薄給の教師に、あわれみを持つがよろしい。先生という種族は、諸君の逢うあらゆる大人のなかで、一等手強くない大人たちなのです。ここをまちがえてはいけない。これから諸君が逢わねばならぬ大人は、最悪の教師の何万倍も手強いのです。
そう思ったら、教師をいたわって、内心バカにしつつ、知識だけは十分に吸いとってやるがよろしい。

三島由紀夫 「不道徳教育講座」

 

 

 

新装版 なるたる(1) (KCデラックス アフタヌーン)