コンテンツ化された苦悩

憎み憎まれて生きるのさ

23歳ニートの人生がダメになっていくドキュメンタリーです

筒井康隆の『聖痕』と『劇場版テレクラキャノンボール2013』について

 筒井康隆の『聖痕』について何か書いてくださいと言われて半年たって、最近ようやく読み終えたので、書きます。お待たせしました。と言いたいが、ブログの需要的にこの話題は正しいのだろうかという一抹の疑問。リクエストあったからそりゃ書きますけど。「リクエストした人だけに届け」的なスタンスで書いて良いのか。俺はいくら時間かかっても頼まれたらやり遂げる性分なので、半年越しでも決して投げ出さないことにしていますよ。クオリティはどうあれ。みんなちゃんと筒井康隆読んでるんですか?俺は全然読んでない。今まで読んだのは『わたしのグランパ』『笑うな』『パプリカ』『天狗の落とし文』『くたばれPTA』くらい。あとは短編集をちらほらと…。『時をかける少女』すらちゃんと読んでないけど、もしかして筒井康隆は教養としておさえとくべきものなのか。文学部だったくせに詳しくないのってギルティですか。舞城王太郎の『阿修羅ガール』を三島由紀夫賞に推した作家っていうのは知ってる。そういえば『旅のラゴス』は何で脈絡もなく突然あんなブームになったんだろうか。清涼院流水のJDCシリーズを読んでいる時にも思ったけど、俺は、どう考えても奇書の類を論じる力量もないし、そもそも普通の感性しか持ち合わせていない。NO!前衛小説、STOP!実験小説。そう言いたい。SFは星新一先生から入ったので、筒井康隆のなにかにつけてドギツイ作風に初めの方は面喰ってしまった。ドギツイ一辺倒かと言えば『睡魔のいる夏』みたいな抒情的な作品も書くし、いよいよ混乱させられる。そういえば星先生のエッセイには筒井康隆とか小松左京とかよく登場して、一昔前のSF作家界隈の内輪な空気がほのぼのと伝わってきて趣深い。詳しくは覚えていないけど「酒を飲まなければ筒井君は作風と反していたってまともな常識人だ」といったことが書いてあった。筒井康隆本人も「自分は常識を分かっているから誰よりも非常識を描くことができるんだ」みたいに言ってた。でも『最高級有機肥料』とか『バブリング創世記』書いてる時点で…「頭おかしい」と思われてもしょうがない気もする。

あらすじ

五歳の葉月貴夫はその美貌ゆえ暴漢に襲われ、性器を切断された。性欲に支配される芸術に興味を持てなくなった彼は、若いころから美食を追い求めることになる。やがて自分が理想とするレストランを作るが、美女のスタッフが集まった店は「背徳の館」と化していく……。巨匠・筒井康隆が古今の日本語の贅を尽して現代を描き未来を予言する、文明批評小説にして数奇極まる「聖人伝」。

  

 筒井康隆で「食」をテーマにした傑作と言えばなんといっても『薬菜飯店』でしょう。おそらくジョジョ4部のトニオさんの元ネタになったであろう、ご飯を食べるたびに体の悪いところが治っていく中華料理屋の話だ。これは出てくる料理もおいしそうで、体の治り方のめちゃくちゃさ加減もイカれていて傑作だった。『最高級有機肥料』も…ある意味グルメ?そういう趣味の人からしたら「おいしそう」とか思うのかな。あとはタイトル忘れたけどほっぺたの内側がカニの甲羅になってそっから蟹味噌が永遠に食べれる!みたいな話もあった。『蟹甲癬』だっけ。人間の原始的な欲求である食とか性について、ここまでふざけて書くの?みたいな際どいとこを攻めてくるというか。読んでいるうちに「偉そうにしてっけどお前らも所詮アニマルなんだよ」みたいに言われてるような気分になる。でも今回の『聖痕』は、主人公が最初の最初で美しさのあまりに変質者に目つけられてズバッと性器を切られてしまって、その性欲の欠落を美食の追及で補っていくみたいな話で、読んだ感じからすると「食」よりも「性」側に重きを置いているのかなと思った。全体的に「男性性の喪失」がテーマなんじゃないでしょうか。

この子は聖人みたいになるのだろうか。どんな一生を送るのだろう。それはまるで犯してもいない罪を贖罪し続けるような生涯なのだろうか。

 前回の『九十九十九』に引き続き主人公が「美しすぎる」って設定がかぶっていて連続で読むと面白かったですよ。でも、その美しすぎるって設定も多分扱い方が二人とも異なっているというか、『聖痕』の方は古典っぽい文語調の語り口で、主人公のやんごとない美しさと相まってなんとなく『源氏物語』の光源氏を連想させる。文章の中の使われてる言葉が古めかしい雅語とか枕詞ばっかでものすごく読みづらい。ページの注釈がセンター試験の古文か『なんとなく、クリスタル』みたいになってる。登場人物が話すときにカギカッコを使って書かない。地の文でも一人称と三人称が混在してて視点が定まらないようなふわふわした感覚。今までに読んだことないような不思議な文体。主人公や周辺の人物の思っていることも喋っていることも同じように淡々と記述されていく。 これについては解説で東浩紀がこう述べている。

一人称と三人称の混淆、時間の錯綜、記憶の混濁、性的な連想に満ちた粘着質の語りといった氏の作品の特徴は、視点を変えてみると、老人のいささか「惚け」の入った世界観そのものだと言うことができる。 

 この解説はものすごくためになる。これさえ読めばもう本当大体「分かった」感じが出ると思う。そもそも文章中の枕詞がほとんど理解できず注釈と本文をシャトルランのように往復していた私には論じる資格もないです。マジで。

 主人公の設定がものすごくフィクション寄りに構築されているけど、それ以外の出来事はオイルショック学生運動バブル崩壊サリン事件、ユニクロの誕生、東日本大震災など全部現実の日本になぞらえている。だから「去勢された光源氏がもし現代の日本に生きていたらどうなるか」のモキュメンタリ―のような小説と言えなくもない。モキュメンタリーって言葉が小説に当てはまるか分からないけど。

 色欲から解き放たれリビドーの呪縛もなくエディプス・コンプレックスとも無縁だったため自分が如何に自由で平和な反省を送ることができたことか。

 これからはやはり、リビドーやコンプレックスの呪縛から脱した高みで論じられる、静かな滅びへと誘い、闘争なき世界へと教え導く哲学や宗教が必要になってるんだろうね。

 それがぼくの贖罪羊(スケープゴート)だったんだよ 

 男目線で読むと性器を刃物で切断されるとかそういうの本当に嫌。切られてから治るまでの怪我の経過の描写もリアルで「やめてくれー」って感じで読んでた。キム・ギドクの映画にもお母さんに息子の息子が切られる映画あったけど、そのシーンがあるらしいのが怖すぎて見てない。「ヘドウィグ・アンド・ザ・アングリ―インチ」は見た。直接的にそうなるシーンはなかったけどやっぱり怖かった。だってそれ切られたら「男としての人生終わり」なわけじゃないですか。でも『聖痕』の主人公は男性器を失ったことを後悔していないし、むしろ良かったと。余計なお荷物取ってくれてありがとさんくらいのこざっぱりした心で許しちゃうのが新しいと思った。

 

 考えてみると最近のニュースとか、セクハラ問題とか強制わいせつとかそういうのばっかりで、気晴らしにTwitter開けば「始球式にきた女性タレントに男子学生が集団で突進していく」動画、「おっさんが道行く女性に次々に痴漢し始める」動画、「駅をわざと女性に肩がぶつかるように青年が歩く」動画などが転がっていてもうガチで男って気持ち悪いと思う。ニートですら思う。こんな狂ったやつらが闊歩している外になんて出たくないよ。銭湯とかサウナでおっさんに話しかけられるたびにびくっとしてしまう。自意識過剰かもしれないけど。(でも、いきなりサウナでおじさんから「君胸毛なくてきれいだね。なんか処理してる?」とか話しかけられたら身構えません?あの人はホモだったのだろうか。謎だ。)なんかこういう「気持ち悪い男」の話題を目にするたびに男に生まれついて申し訳なく思ってしまうことが多い。家から一歩も外出てないけど。家族以外の異性と数か月話してないけど。

強姦をする側にいて立っている自分をいかに否定しようか (枡野浩一) 

  枡野浩一が短歌で詠んでいるように男って加害者側の性なんだよなと思う。だから同じセクハラ事件見て俺が男であることに申し訳なさを感じたって女性側の憤りや恐怖のが確実に大きいわけで。してもないセクハラ事件を心痛めたり申し訳なく思うのもカフカの言う「根拠の分からぬ罪悪感ほど烈しく魂の中に定着するものはありません。」ってやつなのかもしれん。でも、犯罪じゃなくても今まで付き合ってきた女の子には「男の気持ち悪さ」押しつけてしまったりしたこと多々ある。嫌がってる彼女に「セックスさせて」って頼むのもセクハラ以外の何物でもない。ネットで「○○メンバーが~」とか「セクハラ教師が~」「校長が~」とか訳知り顔で断罪したり面白半分で茶化す男性とかすごいなって。「お前自分がどんな人生を歩んだとしても絶対に性犯罪者にならないって確信持って言えんの?」みたいに思わなくもない。小中学生のころ太っててモテなさ過ぎてめちゃくちゃ人生お先真っ暗みたいな時期があったから、もしその時のマインドから抜け出せず今まで生きていたらかなり危ない奴になっていたんじゃないだろうか俺。女の子と付き合えても、性欲に振り回されっぱなしで死にたくなるようなみっともない真似さらしたりするし。フラれてtinderで遊び相手探したりするし。たった一晩遊ぶためだけで3時間かけて静岡行くし。自分で自分が信用できないですよ。そんなら『聖痕』のようにさばっと切り落としてみい、おんどれ。と思ってしまう。切らないけど。でも主人公の到達した男女の関わりを神の視点で見降ろしているかのような悟りきった境地には憧れちゃう。そんな風になれたらいいのに。もし自分が気持ち悪いセクハラ親父になるくらいだったらそのまえに死にたい。

 

 で、この気持ち悪い自分語りのついでに大学2年生の時に見た『劇場版テレクラキャノンボール2013』について語ろうかなと考えたんですけど、これもあの色々と業が深い作品だなと思います。またサブカルの文脈でちらっと話題になってるので、思い出してせっかくだからなんか言っておこうみたいな貧乏根性。1人で年末のアップリンクに行ってみました。この作品を男が「面白い」と言うにはなにかしらの責任を負わないといけないような気がして。俺は面白いとかいう以前に汚いなと思ってそこで乗り切れなかったんですけど。(途中の「ピンク・フラミンゴ」的な場面とか面白がる以前に生理的に無理!)観終わったあとすごく疲れた。基本的にこの作品て『聖痕』で主人公が失った要素の集合体で構成されてるようなものじゃないですか。「男性性のみっともなさ」の極北というか。「テレクラキャノンボール」を知らない人のためにウィキペディアから抜粋するとこんな感じ。

ルール

ステージは、RUNステージSEXステージに分かれていて、終了時のステージ合計獲得ポイントによって順位が決められる。

RUNステージは、決められた移動区間をオートバイや自動車などで移動し、到着順でポイントが与えられる。SEXステージは、ナンパ、テレクラ、出会い系サイトなどを用いて、各都市で素人女性を制限時間内に撮影し、その行為内容などによってポイントが与えられる。

優勝者には、優勝賞品としたキャノンボールマスコットガールとのSEXの権利と栄誉が与えられる。(ウィキペディア

  このルール見ただけで、女性なら「うわあ...」って感じだと思うんですが、もっと細かいルールがあってですね。「~歳以上ならマイナス何点」「女性の○○を飲めばプラス何点」「女性の××を食べればプラス何点」とかそういった感じなんすよ。レース参加者である監督が勝つためにどこまでみっともなれるか。みたいなそういう男性性のできれば見たくない部分をこれでもか、とばかりに見せてくるわけです。話の見せ方としてはYoutuberがゲテモノ料理を食べて七転八倒して視聴者を笑わせる動画みたいな風に面白おかしい感じでやってるわけなのです。Youtubeでいうゲテモノ料理にあたる部分が生身の女性っていうだけでアレな部分はあると思いますが、監督も最中はものすごく真剣にやっているし、出演してる女性も納得の上なら映画を見た人が一方的に批判できないと思うけども。俺がどうなのと思う部分はこの映画では「男性性のどうしようもないみっともなさ」を「でもこんな変態なことを一生懸命にやりきることのきらめき」みたいな風に反転させて描いちゃってるところ。この映画を支えてるのはサブカル的な「こんなやべえ映画を評価しちゃう少数派の俺」ていう意識じゃなくて純粋に「どうしようもないほどのみっともなさ」を「きらめき」に反転させる瞬間が見たいだけの多数派なんではないのと思う。その点においては他の追随を許さないぐうの音も出ないほどの反転っぷりですよこの映画は。男のみっともなさを身も心も嫌ってほどさらけだしてますから。でもそこを「かっこわるいってかっこいい」みたいな話に回収しちゃうのは...あまりにも安易では。声を大にして言いたいのは今の現実の社会には男性性が生み出す「みっともなさ」「だささ」「下品さ」を「きらめき」に反転させる余地なんてこれっぽっちもないのですよ。虚構と現実の無限の隔たりをちゃんと消費する側は知っておかないといけない。そういう作品を生み出してる人はそこに輝きを持たせることの危険さを知ってほしい。どこにも救われる余地がない男性に都合のいい夢を見せることに責任を持ってください。銀杏BOYZ 神聖かまってちゃん 『宮本から君へ』『ボーイズ・オン・ザ・ラン』『グミ・チョコレート・パイン』『童貞。をプロデュース』(←これはドキュメンタリー的にも色々問題があったけど)『さくらの唄』『太陽の塔』あと穂村弘のエッセイもかなり罪深いぞ。

 

 「みっともなさ」の先には何にもないんです。現実のみっともなさに出口はないですからね。交差点の真ん中にこたつをしいたら逮捕されるんです。『宮本から君へ』のように仕事でシャカリキになって我を通したら結果を出す前に干されます。『ライ麦畑でつかまえて』に憧れたマーク・チャップマンがなにをしましたか。俺は仕事を辞めてニートになって始めて「みっともなさ」が「きらめき」に反転することはないと気がついた。遅すぎる。それまでの俺は物語をぱんぱんに詰めた風船のように地に足がついてなかったから文学部なんていうヤクザな学部に行ってしまったけど、小説読むくらいなら株を勉強した方がなんぼかマシです。ええ。俺の人生の「みっともなさ」なんてのはこんな誰も読まないようなブログに書き殴られて終わりなんです。森見登美彦じゃないけど言いたいですよ「責任者はどこだ」と。

 

 

聖痕 (新潮文庫)

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