コンテンツ化された苦悩

憎み憎まれて生きるのさ

23歳ニートの人生がダメになっていくドキュメンタリーです

松本大洋の『青い春』とその映画

  街で高校生のカップルが仲よさそうに手を繋いで歩いてるの見るともうだめです。度を超えた劣等感のせいで動機息切れめまいが発生するしたまらなく死にたくなる。そんなにキラキラと幸せふりまいてお前ら無敵か、頼むから早く俺の目の届かないどっかへいってくれ、ニートに君たちは眩しすぎる。でも、高校生のカップルを見ただけで死にたくなるくらい暗い高校時代を過ごしてきたわりには、漫画とか映画とか小説なら青春モノがけっこう好きだ。虚構だって初めから分かっているならメンタルが揺れることはない。仏の心で受け入れることができる。実際の思い出が「あの時ああしていれば」「あの時ああしていなければ」みたいな事ばかりだったから、物語くらいは完璧な青春を追い求めてしまうんだろう。大学卒業して就職して無職になって彼女にフラれてもう今は、自分が青春という言葉から遠く離れた場所に位置している気がする。

 

 俺の行ってた高校は海の近くで、近くというかほぼ隣に海があった。1年生の時だけ別の棟の教室で、その棟は建物がボロいとか階段が急だとか幽霊が出るとか言われてて生徒からの評判が悪かったけど、教室から海が見えるのは最高に青春だった。海が見える教室で過ごした一年間はのんびりまったりって感じで、気持ちよく過ごせたのに、2年生にあがって本校舎の教室になってからは最悪でした。なぜ最悪かというと教室から海が見えなくなったのと、クラス替えのせいで前のクラスの男が1人もいないクラスになぜか俺は入れられてしまって、また1から人間関係を構築しようと躍起になって空回りしてるうちに変な奴だとアメフト部に目をつけられて毎日お尻を蹴られたりタックルされるようになったからです。本当は憂鬱すぎて学校全然行きたくなかったけど、いじめられて休んだりしたら親が心配するだろうから毎日ちゃんと行ってた。この暗黒の高校2年生の経験で自分が生きている世界全般に対する不信感や被害者意識が俺の心に植えつけられてしまって、それを今も引きずっている。人生返せ。

 

  ただ、高校2年生の時に同じクラスのちょっと不良っぽい女の子が俺のことをかっこいいと他のクラスの友達に言ってたという噂を聞いて、人生捨てたものではないなと感じた。どこがかっこいいかというと漢字テストなどが返却される際にに俺が必ず両手で証書授与の時ように受け取るのがかっこいいと言ってたらしい。謎すぎる。結局クラスが一緒だった間に一回もその女の子と話したことがないので真偽のほどは分からないが。その噂を聞いてから俺はますます気合を入れて卒業式のようにテストを受け取るようになったのは言うまでもない。

 

 自分は人より生きるためのエネルギーが足りないんじゃないかと真剣に思っていた。学校に行ってるときも授業とか部活に全く身が入らなくてぼんやりしていた。俺の人生そういう状態がずっと続いてる。なんでみんながあんなに元気で前向きに生きていけるのか本気で不思議だった。このままだといけないのは分かっているのにどうしても努力を積み重ねることができなきてサボってしまう。やらなくちゃいけないこともめんどくさくて放り投げてしまう。嫌なことがあった日の放課後は学校の隣の海にいって、陽が落ちるまでベンチに座って海を眺めていた。「ここじゃないどこか遠くへ行きたい」なんてことを常に考えていたら高校生活はあっという間に終わった。寺山修司かよ俺は。

 

 仕事を辞めて半年経った今もダラダラとニートをやっていて、もうこんなんじゃダメだなあと思うがやっぱり気がつくとダラダラしてしまう。映画とか漫画とか小説とかが面白いから。もっとお金のかかるソシャゲとかパチンコとかにハマらなくて良かったと心から思う。いやニートの時点でダメなのですが。

 

 映画でも漫画でも「あっ面白いな!これ!」って感じた瞬間に脳みそのどっかがシビれるような感覚があって、そのシビれの正体を突き止めてどこが面白いと思ったのかなんてことを誰彼かまわず力説したくなるけど、俺には高度なことをうまく喋る技術がないので話してるうちに自分の話の下手さにだんだんテンションが下がっていって「とにかく見ろよ」みたいに雑な説明しかできない。(ニートになってからは話す相手すらいない)自分の気持ちすら本気で人に伝えてこなかったコミュ障ゆえの悲しきディスコミュニケーションなのだけれど、せめて文章なら過不足なく伝えられるんじゃと思ってブログを書いてみたりする。でも、そう簡単にいくわけもなく自分が思ってることや考えてることを書くことは話すことと同じくらい難しくて、途方に暮れてしまう。もっと自分の言葉をうまく使いこなせるようになって他の人と関わっていけたらいいなと思う。

 

松本大洋の『青い春』とその映画版の話をしたかったのに長々と関係ない自分語りになってしまった。『青い春』は不良少年たちのモラトリアムをテーマにした漫画の短編集で、

「しあわせなら手をたたこう」

リボルバー」 (原作:狩撫麻礼/全3回)「夏でポン!」

「鈴木さん」

「ピース」

ファミリーレストランは僕らのパラダイスなのさ!」

「だみだこりゃ」

の7作品が収録されている。いずれの短編も「青春のやるせなさ」みたいなのを前面に押し出したストーリーで、正直読後感はあんまり爽やかじゃない。俺が特に気に入ったのは「しあわせなら手をたたこう」と「ピース」と「夏でポン!」かな。デビューしたばかりの作品なので絵も荒削りだしやたら人が死ぬし、そもそも初めて読んだ時から松本大洋のぐにゃぐにゃした画風があんまり好みではなかった。でもこの漫画は間違いなく傑作だと思っている。それは登場人物のしゃべる台詞ひとつひとつのセンスの良さであったり荒々しい物語の中に光るナイーブで繊細な表現に惹かれるからだ。松本大洋は感情に訴えかける「漫画の見せ方」が抜群に上手い。誰も真似をできない唯一無二の漫画を描くことができる作家だと思います。松本大洋は絵よりも台詞の作家という事を強く主張したい。この人が書く台詞には「この言い方じゃないと伝わらない」っていう切実さがこもっているような気がします。生々しさ、リアリティ、臨場感とでも言えばいいのかわからないけど。かなしいくらいの切実さがむき出しで読者に飛び込んでくる。そんな台詞を生み出してくれる作家です。何回も言うけど絵よりも台詞のがすごいんですよ。

 

誰か俺をこの檻から出してくれ

『しあわせなら手をたたこう』 

 

終わらねえんだよいつまでたっても夏が

『夏でポン!』

 

誰かが押してくれたら飛べるってずっと信じてたよ

子どもの頃からだ

『ピース』 

 

 俺は不良じゃなかったし、むしろ逆でそういうやつらに嫌がらせ受けてたから、不良漫画読んでまさか感動するとは思わなかった。当時俺が抱えていた閉塞感や倦怠感が『青い春』にはそのまま表現されていた。俺にとって学校って行くだけで何かの役割を押し付けられているような気分になる息苦しい場所だった。教室で授業を受けている時も、アメフト部に小突かれている時も、部活の試合で負けた時も、部活をサボって図書室で『宇宙兄弟』を読んでいる時も、公園のベンチから海を眺めている時も、「本当の俺はこんなんじゃない」ってずっと思いこんでて、でも何も変えられないって本当は分かっているあの感じ。この『青い春』の登場人物も自分の中のどうしようもない絶望を振りきるために殺人や自殺という手段を選んだ。学校という場所から逃げ切るためにはそのくらいしないとダメなんだなと思った。

 

 自分の中で勝手に松本大洋は「境界」をものすごく丁寧に描く作家だと思っていて、『ZERO』においては狂気と正気、『鉄コン筋クリート』においては善と悪(あるいは光と闇)、『ピンポン』においては天才と凡人、『GOGOモンスター』においては非現実と現実がそれぞれ対比的にキャラクターに付与されている…と思う。越えられない境界線を挟んで向こう側にいる人とこっち側にいる人がどう関わっていくか、何を考えるのか。特に孤高の天才とそれを取り巻く凡人の羨望と嫉妬みたいな人間模様を描くのが異常にうまいと思う。で、この強引な推論で『青い春』を読んでみると生と死の境界というものが表現されてる気がする。「しあわせなら手をたたこう」で高校生たちが度胸試しで興じるベランダゲームも生と死のギリギリの境界を感じるための遊びに他ならない。生きている実感を持てない不良たちは「生」を実感するためには命を危険にさらさなくてはいけない。退屈で無味乾燥な日常の中でどこまで「死」に肉薄できるかをチキンレースで試さずにいられない不安定な心情を表しているのではないかと。

 

 映画版はさらに「境界」の要素を突き詰めて表現している。主人公たちが柵を飛び越えるシーンが多用されるのは彼らが道徳やルールから自由な存在であることを示し、最初のベランダゲームに参加した4人(九條、青木、木村、雪男)を軸にしてストーリーは語られていく。オープニングの時点で主要人物の無軌道な逸脱を端的に観客に分からせるのがニクい。劇中の真っ暗な屋上への階段、黒いスプレー、黒く塗りつぶされた学校、影。そういった一つ一つのモチーフが分かりやすく死を想起させる。原作の生と死の危ういバランスをこの映画では光と影と黒を使って効果的に表現できていると思う。九條がベランダゲームにやたら強いのも生きることに人一倍興味が薄いからのように感じた。それまでギリギリで保たれていたぬるい日常が、些細なきっかけで崩れ落ちてしまう。この生から死への疾走が信じられないくらい鮮やかで眩しい。

 

 原作から映画版に付け足された部分の「松本大洋っぽさ」がすごい。これは監督が意識してやっているのか自然とそうなったのか分からないけど、青木が見上げる馬鹿でかい飛行機とか木村の学ランに縫い込まれた詩とか先生と話していた花にまつわるやり取りとか青木と九條の関係とか黒くなった校舎とか、強烈な松本大洋作品ぽさを感じた。原作からの改変だと木村が好きで好きで仕方ない。「鈴木さん」と「夏でポン!」を無理やりくっつけたキャラクターなのに1番印象に残った登場人物だ。喋り方が松本大洋の台詞に合っているのかも。ちょい棒読みというか。やってること学ラン脱いでヤクザの車に乗るだけなのにあそこまでカッコいいって反則でしょ。

 

 最後のドロップが流れ始めてからラストシーンまではマジで最高。エモい。走る九條と叫ぶ青木と学校の風景が畳み掛けるように重なっていくあそこのところ!俺の表現力では説明しきれないけどあのシーンの原作を超えんばかりの猛烈なエネルギーはまさに映画の魔法としか言いようがない。興奮しすぎて鼻血出るかと思った。生と死の境界を越えていくことで自分の存在を認めさせるという行動は決して強さじゃなくてある種の弱さかもしれないけど、その決意のまっすぐさに胸をうたれた。

 

「理屈に対しては拳で答え、沸き上がる感情に対して『ナゼ』と問う事の無いツッパリ君達の本能は、私の憧れであり、一番身近にいたヒーローだった様に思います。」


「どれだけ情熱を燃やそうと血潮を滾らせようと青春とはやはり青いのだと僕は思います。それはたぶん夜明け前、町の姿がおぼろげにあらわれる時の青色なのだと思います。」

 

『青い春』 作者のあとがきの言葉

 

 

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