コンテンツ化された苦悩

Boy neet Girl (そして人生は続く)

22歳ニートの人生がダメになっていくドキュメンタリーです

映画「セッション」と松本大洋の『ピンポン』って似てね?

俺、「セッション」と『ピンポン』両方ともむっちゃ好きやねん。

今日はこのふたつの作品の類似点を説明すると同時に、愛を叫びたいと思います。

多少むりやりな論理でもゆるしてね。

 怖いスキンヘッドが出てくる

 

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はい、まずはこれ。どっちの作品にも怖いスキンヘッドがラスボスとして待ち構えておりますね。

『ピンポン』ではインターハイ優勝者である「ドラゴン」こと風間。

「セッション」では名門ジャズ学校の権威である鬼教官「フレッチャー教授」。

この二人は高い壁として主人公の前に立ちはだかり、試練を与える役割を担っているといえます。

こうやって画像をならべて見ると、二人とも顔も激似じゃない?

なんとなく記事書いてみたけど、書いてるうちに確信しました。「ドラゴン=フレッチャー」説。

ドラゴンは「常に勝利しなければならない」という重圧に耐えながら誰よりも練習し、フレッチャーは「次世代のチャーリーパーカーを見つける」ために常軌を逸した指導をおこなっています。

 

 

血のついた道具

 

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 偶然の一致か。練習しすぎて道具(ラケット、ドラムスティック)に血がつく描写。

『ピンポン』ではドラゴンの卓球に対する気持ちを象徴するかのように使われていました。家族やチームメイトから勝利を期待され続けるドラゴンには卓球はただ苦痛でしかなかったのです。

「セッション」では主人公が最初の練習でフレッチャーにぼろくそにけなされてから、文字通り血のにじむような特訓をはじめます。鬼気迫る表情でドラムを叩き続ける主人公は音楽を楽しんでるようには思えません。ただ教授に認められるために死にもの狂いで努力したのです。

 

才能の爆発

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ラスボスであるドラゴンとフレッチャーは物語の最後に主人公に倒されます。

(「セッション」はドラマーと指揮者という構造だから倒すって言い方はアレだけど)主人公をとことんまで追い詰めたと思ったら、才能が覚醒して圧倒されるという王道の熱い展開ですね。

『ピンポン』ではドラゴンとペコが対等な勝負を繰り広げていくうちにドラゴンは「卓球の楽しさ」に目覚め、「セッション」では自分を退職に追い込んだ主人公を憎んでいたはずなのに、ジャズの演奏を通してフレッチャーと主人公はすばらしい高みに達します。

 

ふたつの作品もラスボスをただ倒すだけではなく、圧倒的な才能の爆発による救いを描いているのが面白いですね。

「優勝候補に勝った」「演奏で嫌な教授を見返した」だけではなく、演奏やスポーツの試合を通じてある種の頂上までのぼりつめる。

その結果、ラスボスも抱えていた負の感情やしがらみから解放される。

 

どちらも熱血スポコンの傑作です。おすすめ。