コンテンツ化された苦悩

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コンテンツ化された苦悩

「お前がブログを覗くとき、ブログもまたお前を覗いているのだ」

頭の悪い人はどうやって生きていけばよいのか

誰であってもテレパシーを持ってない限り人と喋るには言葉が必要で、俺はちゃんと(ってほど喋れてるわけではないけど必要最低限)人と会話ができるから言葉を操れてると思ってしまいがちだけど、全然文章を書くことができない。いや、今書いてるものは何なんだよっていうと、これも頭の中でべらべらと喋っていることであって「書いている」わけではない。このなんとも煮え切れない気持ちわかってほしい。つまり喋ってる分には目の前の人間と意思の疎通ができれば条件をクリアしてるわけなんだけど、それとは違ってブログの文章は誰でも閲覧できる。つまり1対1とは別のコミュニケーションのルールがあるはずだ。

 

俺は頭が悪い。(と、開き直るのもいかがなものか)文学部のくせに本もあんまり読まないし、日々の娯楽といえば漫画くらいしかないのです。洗練された文章を書く技術というのは訓練によるものなのだとしたら、かなりゴミだ。長い文章書くにあたっての構成力、一貫したテーマを語る論理性、自分の言いたいことを表現する語彙力などが皆無に近い。

 

いったいグチグチと何を書いているのだろうか。俺は前もって考えていた題材をブログに書いているわけではなくて毎日パソコンの前でうんうん唸りながら文章をひりだしている。こうやってブログを書いてる時でも自分で他人に何かを伝えたいという動機のようなものが欠落している。じゃあなんでブログをやっているのか、と考えてみるとこれは俺にとってのリハビリのようなものだ。自分で考えた文章でもって自分の言いたいことを過不足なく伝えきるのは難しい。だから現実と接点がないインターネット上でこうやってまとまった文章を書き続けることで「自分の書きたいことを他人で分かってもらう」練習をしているのかもしれない。

 

俺には書きたいことことをうまくまとめるどころか、そのかなり手前の「書きたいこと」をちゃんと持つことができない。だって「ごはん」と「女の子」と「眠ること」にしか興味がないって人間的に問題あるよ。アニマルか。面白い漫画、アニメ、映画、音楽にふれたときでさえ、「すごいなあ」と小学生並みの感想しか出てこない。「すごい」としか思っていないわけではなくて、自分の頭の中で「どうすごいと思ったのか」の部分をアウトプットできない感じ?なぜかと言うと頭の中で思っていることと文章には大きな隔たりというか網目の細かいザル状のものが置いてあってそれを通り過ぎるときに、「すごい」しか残らなくてこれは困る。実際、小中の読書感想文がまったく書けなかったくちなので。

 

もう21歳なのだからいい加減にもっとまともな文章を書けるようになろうと思う。読書感想文とは言わずに、漫画でも映画でも音楽でもなんでもいいからちゃんと。