コンテンツ化された苦悩

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コンテンツ化された苦悩

「お前がブログを覗くとき、ブログもまたお前を覗いているのだ」

人はパンのみで生きているのではない、アフィ収入によって生きるのだ。

就活すれど

就活すれどなおわが暮らし楽にならざり

ぢっと手を見る

 

いや、正確にいうならば就活はしていない。『闇金ウシジマくん』を読み終わったあとのようなこのダウナーな気持ちを抱えて日々を生きているのだけれど。日々の生活に潤いがなさ過ぎてもう心がコーンフレイクのようにカッサカサだよ。夏休みの8月31日に宿題が終わってない小学生のような心境が毎日続いている。だれか俺に道しるべを授けてくれ。こんな弱い心のままじゃあ、怪しげなカルト宗教に勧誘されても真っ先に入信してしまいそうだ。ちくしょう、神に誓うな、己に誓え。明日から、いや今日のこのブログを書き終えてからちゃんと就活します。

 

就活の恐ろしいところは、自分自身の有用性を他者と否応なしに競わされるところだと思う。それゆえに全然選考通らなかったりしたら自分の価値がどんどん値下がりしていくような気持ちになる。「俺は社会に必要とされていないのではないか」なんて言ってみたりして去年のアカデミー賞の「バードマン」みたいな話になってきてしまう。

おまえなんてはなから必要とされてねーっつうの病院の屋上からダイブしてろや

ていう状態。でも俺はそもそも就活自体あんまりしていないし、企業からお祈りメールもらってマジへこむわーという段階にすら達していない。なんでだろう。やっぱり就活だめだめで「社会から必要とされてない俺」に直面するのが怖くて、必要以上にビビりまくって逃げ回ってる子猫ちゃんなのか俺。それとも「こんなダメ人間とは言えどもさすがにどこかしらは雇ってくれるだろう」と社会を舐めきってしまっている甘ちゃんなのか。甘えるな。世間は貴様らの母親ではないと誰かに叱ってもらいたいよぉ、というさらに甘ちゃんなことを言いそうなので自分で自分を叱る。働きなさい俺。

 

人間の行動というのは意識と無意識の相互作用によって決定される。しかもその中でも自分で意識できる範囲なんて屁のようなもので、行動のほとんどを無意識が司っているというのをどこかで聞いたことがある。俺は自分で働きたくないと意識して行動しているのではなくて、意識にのぼらない無意識の領域が働くことを突っぱねてしまっているのではないだろうか。だってそうじゃないとおかしいじゃないですか。健康で小太りの働き盛りのはずの青年がこんなにも知力、体力を持て余しながら生活しているなんて。

もうこれは就活に就職を求めるのはやめて生存本能に働きかけてみようかと思う。かといって内定決まるまで食事禁止、睡眠禁止とか制約つけたら死んでまうわな。残るは性欲?よーし内定決まるまでSEX禁止でって言いたいけど恋人いないんだった。てへぺろー。