コンテンツ化された苦悩

2ヶ月で仕事をやめる(そして人生は続く)

やる気のない大学生が就職したらどうなるかのドキュメンタリーです

なぜ俺のブログは誰も読まないのか(お前の人生にはPOPさが足りない)

 死ぬべき命をまた今日も無為に永らえてしまった。無人島に遭難して一か月が経過し、毎日毎日瓶に手紙を詰めて海岸に投げ入れて救助を待っているけど、朝になったら砂浜に全部戻ってしまうみたいなこのブログ。何度アクセス解析しても昨日のアクセス数は4。4は死に通じる縁起が悪い数字だ。ミスタも嫌っていたし。

 

なぜ俺のブログは誰も読まないのか

  1. POPさが足りない

そもそもの話、面白い文章っていうのはなんだろう。一目みたら最後まで読者をぐいぐい引っ張って離さない吸引力?的な力を感じさせる文章。だが、そんなもの俺にはありはしない。それはなぜかというと俺の中学校の時のころの国語のK先生が筆舌に尽くしがたいほど恐ろしく怖い先生で、そのK先生は授業中に教科書の小説の感想をノートに書かせて隣の席の人や後ろの席の人と回し読みさせてそれがすごく恥ずかしくて嫌だったし、俺は左ききなので字が地上に出てきて乾いて死んだミミズの死骸のようなありさまだったので読んだ人から怒られたりした。(左ききでも字が上手い人はいる)そんなわけで長い文章でもって自分の頭の中を書き出すという行為がなぜか照れくさくてできれば誰にも見られたくないようなそんな気持ちを今でも持っている。自分の考えを文章で伝えるのを本質的な部分で恥じているような文章はそもそもPOPではない。「ああ頼むから誰もよまないでくれ、はずかしいはずかしい」と思いながら書いてるので必然的に読者のことはないがしろにされ、後に残るのはむき出しのうんこ文章だけである。(うんこほど面白くないかもしれないからうんこにも申し訳ない)                                                         

  1. 実用的ではない

就活の一切を放棄しかけている、社会からの疎外感にかられた大学生がパソコンに向かって吐きだす自己承認欲求の産物になんの実用性があるのか。「実用的な就活の仕方」「実用的な服の選び方」「実用的なご飯の作り方」おそらく実用的であるというのは他の人に役立ってもらいたいという優しい気持ちの表れであり、俺にまったく欠けているものでもある。「アクセス数を稼ぐブログとはこうあるべきだ」みたいな指南サイトをいくつかめぐってみたけれど、「自分の日常をただ書くブログは大体つまんないからやめときな」という至極まっとうな意見がズバンと俺の脳天をノックアウト。でもシェークスピアも言ってたように「きたないはきれい。きれいはきたない」みたいな感じで読めばいいんじゃないか。

  1. 読んでいてめんどくさい

機械音痴のおれがうまれたてのバンビのように頑張って書いている。読むより書く方が100倍めんどくさいに決まっているでしょう。それくらいがまんしてね。