コンテンツ化された苦悩

読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

コンテンツ化された苦悩

「お前がブログを覗くとき、ブログもまたお前を覗いているのだ」

「デッドプール」面白かったっす

デッドプール面白かったっす。


そんだけ。

ひみつにんむ 4にちめ



死ぬのかなという感じがあった

社会にでたくない

ひみつにんむ 3にちめ

つかれたですね 

こういう日は

クラフトワークの「人間解体」を聴きながら寝るとつかれがとれます。






ひみつのにんむ 2にちめ

雑記

正直、かんべんしてほしいよねじっさい。

 

そうでしょう?

 

まったくもっておれはぽんこつですよ。それはたしかだ。

 

だけど人間てうまくいかないことに必死に戦ってるうちに強くなるんじゃないかしら。

 

ぽんこつなおれは逆にいうとだれよりも強くなれる

 

 

 

はずなのに。

ひみつにんむ 1にちめ

雑記

せんにゅうせいこう。

はっきり言ってブログを更新している場合ではない。
でも更新する。


きょうは疲れた。
明日はもっと疲れるだろう。
明後日も明々後日も…

あゝ。果てしねー。
こんな中身のないブログ書いてごめんなさい。

また明日。

きみの幸運をいのる。

以上、交信おわり。

「デートで映画鑑賞とかありえなくない?」とかありえなくない?

映画 雑記

就活もせず、ぼんやりとはてなを周回してたら気になる記事を発見。

 

dabunmaker.hatenablog.com

 

 

まじかー、と思う。

女の子とデートする時は、ほぼ映画な俺からしたら信じられない考え。

ほかに気の利いたデート方法しらないから映画に行くのかもしれないけど。

女の子と一緒に外に出かけてうろうろするのあんま好きじゃないんだよね。疲れる。

そもそも人ごみ嫌いだし、盛り上がってる場所に行くの自体俺にとってはハードル高い。

 

そんな文化系根暗青年の俺が映画デートを勧める理由を語ろうと思う。

 僕が映画デートを勧める理由

①暗い

俺は暗いところが好きだ。

女の子と明るいところで向かい合って話していると、それだけで緊張してしまう。

ゆえに映画館に行くと女の子の顔よりスクリーンを見ていればいいので心が落ち着く。

そもそもデートって相手の顔見るためにするもんなのか、俺にはわからない。

二人でお気楽にボーっと楽しめればいいじゃん。落語でも、美術館でも、ライブでもさ。

顔見れないからデートに向いてないという意見に、「顔見るのってそんな大事なのか」と思った。

一本の映画より見る価値ある女の子の顔って「モナリザ」くらいな気がする。

②話ができない

俺と二時間喋るのよりは映画の方が面白いと思うし、俺も女の子としゃべるよりは映画の方が面白いと思う。っていうとアレだけど、まあそんな風に思う。

「話ができなくて物足りない」じゃなくて「話ができなくてラッキー」くらいに思ってる。うーん、完全にさみしいやつだ。

ふだん友達と話してても「うわっツマンネー。こいつと話しているよりも、ハンターハンター読んでた方が面白いな」とか普通に思ってしまう。

それに、一本の映画でも観終わったあとの感想は人それぞれ違うわけで、そういうのを聞いてると「この人はこんな考え方なんだ」っていうのが分かる気がする。

だから「映画観終わった後に感想を二人でだらだら話すのが一番楽しい」といいたい。

③余韻に浸れない

そんな映画の世界にどっぷり浸るほうではないから、べつに二人で見ても一人で見ても変わらないなあ。途中でエロいシーン、グロいシーンがある映画は気まずいけど、そういう映画は二人で観ないしね。

というか二人でなんとなく観た映画が大傑作だったりした時は、最高の気分ですよ。

「ついにわたしたちは傑作をみつけてしまった…」というじんわりとした感動が。

 

④趣味が合わない

 月並みなセリフですけど「どんなつまらない映画でもひとつくらいは見どころがある」ものですよ。

自分のふだん見ないジャンルの映画を観るきっかけになるじゃないですか。

女子受けしないアメコミ、バイオレンス系は友達と見ると割り切って、女の子と自分が楽しめそうな最大公約数的映画を探ればいいんです。

観終わって面白くなかったら正直に「つまらなかった」といえばいいじゃないですか。

それで喧嘩になっても無理して合わせるより100倍マシですよ。 

 

他のところいくなら映画観ようぜ

なおかつ、せっかくデートしてるのに2時間だか3時間、相手を感じることが出来なくなるじゃないですか。耐えられません。

カワイイ彼女の顔を、声を、姿を感じることができない映画鑑賞はデートに向いてない!

 

まず「相手を感じる」ってなんですか。

会話してないと相手を感じられないっておかしいですよ。

ふたりで一緒の映画を観るっていう体験を共有するだけでも価値があると思います。

 

映画「セッション」と松本大洋の『ピンポン』って似てね?

映画 書籍

俺、「セッション」と『ピンポン』両方ともむっちゃ好きやねん。

今日はこのふたつの作品の類似点を説明すると同時に、愛を叫びたいと思います。

多少むりやりな論理でもゆるしてね。

 怖いスキンヘッドが出てくる

 

f:id:supercar0102:20160530201219j:plain

f:id:supercar0102:20160530201331j:plain

  

はい、まずはこれ。どっちの作品にも怖いスキンヘッドがラスボスとして待ち構えておりますね。

『ピンポン』ではインターハイ優勝者である「ドラゴン」こと風間。

「セッション」では名門ジャズ学校の権威である鬼教官「フレッチャー教授」。

この二人は高い壁として主人公の前に立ちはだかり、試練を与える役割を担っているといえます。

こうやって画像をならべて見ると、二人とも顔も激似じゃない?

なんとなく記事書いてみたけど、書いてるうちに確信しました。「ドラゴン=フレッチャー」説。

ドラゴンは「常に勝利しなければならない」という重圧に耐えながら誰よりも練習し、フレッチャーは「次世代のチャーリーパーカーを見つける」ために常軌を逸した指導をおこなっています。

 

 

血のついた道具

 

f:id:supercar0102:20160530202402j:image

f:id:supercar0102:20160530202606p:plain

 

 偶然の一致か。練習しすぎて道具(ラケット、ドラムスティック)に血がつく描写。

『ピンポン』ではドラゴンの卓球に対する気持ちを象徴するかのように使われていました。家族やチームメイトから勝利を期待され続けるドラゴンには卓球はただ苦痛でしかなかったのです。

「セッション」では主人公が最初の練習でフレッチャーにぼろくそにけなされてから、文字通り血のにじむような特訓をはじめます。鬼気迫る表情でドラムを叩き続ける主人公は音楽を楽しんでるようには思えません。ただ教授に認められるために死にもの狂いで努力したのです。

 

才能の爆発

f:id:supercar0102:20160530205443j:plain

f:id:supercar0102:20160530205453j:plain

f:id:supercar0102:20160530205719p:plain

f:id:supercar0102:20160530205609p:plain

 

ラスボスであるドラゴンとフレッチャーは物語の最後に主人公に倒されます。

(「セッション」はドラマーと指揮者という構造だから倒すって言い方はアレだけど)主人公をとことんまで追い詰めたと思ったら、才能が覚醒して圧倒されるという王道の熱い展開ですね。

『ピンポン』ではドラゴンとペコが対等な勝負を繰り広げていくうちにドラゴンは「卓球の楽しさ」に目覚め、「セッション」では自分を退職に追い込んだ主人公を憎んでいたはずなのに、ジャズの演奏を通してフレッチャーと主人公はすばらしい高みに達します。

 

ふたつの作品もラスボスをただ倒すだけではなく、圧倒的な才能の爆発による救いを描いているのが面白いですね。

「優勝候補に勝った」「演奏で嫌な教授を見返した」だけではなく、演奏やスポーツの試合を通じてある種の頂上までのぼりつめる。

その結果、ラスボスも抱えていた負の感情やしがらみから解放される。

 

どちらも熱血スポコンの傑作です。おすすめ。