コンテンツ化された苦悩

憎み憎まれて生きるのさ

23歳ニートの人生がダメになっていくドキュメンタリーです

私があなたのためにしてあげられることなど何もないのだけれど

 Twitterで募集をみかけて面白そうだなと思って創元社エントリーシート出したら見事に落ちた。出版社特有の無駄に長いエントリーシートと作文書いたりするのが意外と大変で半日くらいウンウン唸って書き上げたのに、無惨。家族に内緒でエントリーシート出したのにお祈りが郵送だったために親経由で「あんた創元社からなんかきてるよ」→「中身何だったの?」て聞かれるから地獄だった。「ちょっと欲しい本があって注文してたけど、なかったみたい」という謎の嘘をついて落ちたことを隠ぺいした。落ちた瞬間はそこまで落ち込みはしなかったけど、お祈りの通知を見てお風呂に入ったあとにベッドの上で青山景の『The Dog Race』を読んでるときにダバーっと涙が出てきてまるでメンヘラかAKB総選挙の徳光和夫。この本に収録されている「リリカチュア」という短編がなぜか涙腺にきた。屋上から飛び降りて自殺しようとする女の子をそこに居合わせた男が劇のふりをして励ますって話なんだけど、虚構が現実と対決していく系の話ってよくないすか?「ビッグフィッシュ」とか「落下の王国」とか。ニートが書類選考落ちたごときで泣くなんてアホだと思う。「ダメ人間な自分」に酔って泣いてるだけじゃないんかと。現役で就活してる時も落ちるのが嫌すぎて全然やる気がでなかった。何十社も受けるとかみんな心強すぎるだろと思ってた。あのお祈りの連絡を見た時の「おまえは必要とされていない」って強烈なメンタルへの一撃に耐えられない。ドッジボールのチーム分けとか花いちもんめで最後まで残ってしまった時に近い絶望感がある。「おまえはいらん、おまえはいらん、おまえはいらん……」発狂。

 

 姉が転職に成功した。誰もが知っている有名な会社から内定が出たらしい。姉、ものすごく大雑把で部屋も汚いのだけど、妙に要領が良くて高校も大学も推薦で一発で決めて、今の会社入ってからも海外出張バンバン行って英語もペラペラでもう手に負えない。大学も国公立で親孝行だし、というか普通に文句を言いながらも不満のあるらしい今の仕事をちゃんと続けているのがすごいと思う。かたや俺は高校も落ちるし、大学も私立だし急性アルコール中毒で入院したことあるし親から誕生日プレゼントにもらった就活用のカバンを山手線に置き忘れて失くしたし、買って3ヶ月くらいのiphoneを酔って上着ごと失くしたし新卒で入った会社が3ヶ月も続かなかったり辞めた後も特に何をするでもなくニートしていたり、親に迷惑かけっぱなしなのである。

 

 前の会社にいた頃、先輩から「お前は本当にクズだ。お前を育てた親もクズだ」と言われたことがあって、何でそんなことを言われたかというと俺がいろいろあって取引先から出入り禁止くらったからなんだけど、それ言われてから「自分向いてないっす」と思って辞めた。「親がクズ」発言とかそういうこと言うのもどうなのかなと思ったし。俺の両親二人とも教育関係っていうか普通のサラリーマンじゃなくてまあ教員なんだけど、先輩から言わせると「教員は会社での社会経験がないから非常識で、その子供も非常識に育つ」ということらしい。いくら俺が使えないからといって「親がクズ」って論理はおかしい。だって、俺と同じ親から生まれた姉は立派に社会人をやっていて、俺のいた会社よりはるかに大企業に勤めていたから。そして、さらに大企業に転職してバリキャリの道を突き進んでいて、先輩の「親が教員なら子どもも非常識」理論を見事に無力化してるわけじゃないすか。つまりクズなのは親とか育ちとかじゃなくて俺のパーソナルな部分の問題なわけっすよ。「お前がクズ」って部分をあえて反論しようと思わない。頑張って見返してやるとも思わなかった。「この先一生ニートでもいいからこんな会社辞めたい」という感情しか持てなかった。 

 

 家族からしたら俺のようなニートかなりお荷物なんだろうな。親も還暦近いし職場じゃそこそこベテランで通ってるだろうに同僚とか友達に「長男がニートで引きこもっててゲームキューブピクミンばっかやってて…」「この前出したエントリーシートが落ちてガチ泣きしてて…」とか言いにくいと思う。その点「姉は国公立大学で…」「出張で海外飛び回ってて…」て超言いやすいじゃん。はあ。姉からしても、付き合ってる人と結婚しそうになって家族ぐるみの交流が発生した場合「え?君の弟ニートなの?」「クローズアップ現代でよく特集されるあのニート?」「我が~家は格式高い血筋ゆえ斯様な殻潰しのおる家などもってのほか」って破談になる可能性がある。そうはならなくとも姉も家に彼氏つれてきて紹介したいけど俺がいるから安心して呼べないんじゃないか。姉の婚期を遅らせてるのは俺なのかもしれない。

 

 恋愛という人間関係のガチンコファイトクラブでも、前の彼女に迷惑かけたし。「貴方と付き合っていた時間全てが無駄だった」って言われるか?普通。あれから半年以上経ったのかと思うと、胸が痛い。あの人は無事に公務員の彼氏を見つけて幸せな家庭を作っているのだろうか。人と付き合って別れるといつも死ぬ寸前くらいまで落ち込むから、生まれつき精神構造がそういうことに向いてないのかもしれない。向いてるか向いてないかとかの前にニートなので誰も相手にされてないのだけど。友達とか親とか姉とか前の恋人とか周りにいる人はみんなまともでちゃんとしてるのになんでこんな感じになってしまうんだろう。

 

 どこにいたって「どこにも居場所ない」と思ってしまう。しょうもない性格。それが暇つぶしにいっちょやってみっかとこのブログを始めてみて、面白い文章を書くのも大変だなと思ってしまう今日この頃。最初のほうは普通に自分の身に起きた嫌な出来事をただひたすらガーって勢いに任せて書いてるだけで、文章がどうとか気にしてなかったけど。読んでもらえたり反響があったりすると、ものすごく嬉しくて「世界から認められた」気がした。生まれてから初めて面白いって言われたし。中二の夏休みの読書感想文で死ぬほど国語の先生にバカにされて以来、自分の文章力に自信がなかったけど(今もだが)読んでもらえて自分の承認欲求を司る脳みそにドーパミンがどくどく分泌されるのがわかった。その読まれたさが高じて書かなくていいようなこともたくさん書いた気がする。でも、ブログも難しい。毎日書きたくなるようなことがあるでもないし、俺が表現したくても手の届かない領域があるんだなと。映画の感想とかその最たるもので、自分は映像表現から何か深いところをくみ取ったり分かりやすく言語化したりするの超苦手のようです。面白い映画を見て面白い感想を言える人にあこがれるけど俺は空洞。「服の色が~のメタファーで」「天気が心情描写を」「カットの仕方が~」とかそういう難しいことも全然気づけない。グザヴィエ・ドラン監督の「トム・アット・ザ・ファーム」っていう映画見た時「よく分からないけどなんか怖面白かったなー」っていう小学生並みの感想しか出てこなかったけど、ある映画のブログで「画面のアスペクト比が変わる瞬間」と「登場人物が着てる服に描かれているもの」と「エンディングテーマの歌詞」に注目すると映画のテーマがなんなのか一目瞭然だ、みたいなこと書いてあって驚いた。「画面の比率変わったなんてわかるわけねー」「服の柄やエンディングテーマなんていちいち気にしねー」と思ったけど、それを念頭に2回目見た時、ほんとにテーマが一目瞭然なんですよ。たしかに画面の比率変わってるな、とか服の柄は~のメタファーなんだなと気づけた。その時から「俺は映画見てるようでなにも見てないんだな」と実感して、自分のあっさい感想なんてあてにならないなと思ったわけなのですよ。リンチの「マルホランド・ドライブ」とかお手上げっす。騙される系の映画には必ず騙されるし、2度見ないと分からない系の映画は5回見ないと分からない。バカ?そういえば「インセプション」も全然分からなかった。

 

 

 ブログを承認欲求のために描き続けるのは無理がある。アクセス数とか気にせずのんびり書けたらいいんでしょうけど自分信じられないくらいの人の目を気にしいなのでそれにやる気を左右されすぎる。それともう自分の中にある面白みがなんもなくなってスカスカになってしまった感じがします。(最初からそんなものはなかったって?)4千字程度の記事を十数回書いた程度でもう話したい事が尽きるってどうなのって気がするけどしょうがない。この前書くのがなくて困ったときにTwitterでブログのお題いただいてて「流水大説九十九十九を語ってほしい」と言われて早速清涼院流水先生のJDCシリーズ全巻買ってきたんですけど、『コズミック』『ジョーカー』『カーニバル・イブ』『カーニバル』まではなんとか食らいついたけど『カーニバル・デイ』っていうミステリ小説型レンガに屈しました。あれは人類の読むものじゃないと思う。たぶん、このブログで書いても面白くできそうにないし恐れ多い。俺が感性が凡人すぎて流水先生の高みまでどうしてもたどり着けないというか。買って3ヶ月も経ってるのにまだ四分の一くらいしか読んでないので、読み終わるのいつになるか分かりません。それに加えて本読むのめんどくさい期に突入しました。これも時間が経てばいつか自然に抜け出せるはずですが、根本的に「俺が書きたいブログ」と「読者の読みたいブログ」はかけ離れているんだなと思いました。とりあえず「カーニバル・デイ」を読み終わったらブログを書くので、それまでしばらく更新をお休みしようと思います。いままでこのアホみたいな文章を読んでくださった方ありがとうございます。

 

 ……何かを終わらせるのに理由ってそんなに必要?

生きることには理由なんていらないのにね。

嫌なこととか辛いこともあるけど、

でもそれで絶望したわけじゃない

絶望なんてそんなの始めっからしてたもん

『The Dog Race』「リリカチュア」 青山景

 

 

THE DOG RACE ~青山景初期作品集~ (IKKI COMIX)

THE DOG RACE ~青山景初期作品集~ (IKKI COMIX)

 

 

「籠の中の乙女」「ロブスター」の感想など

 女の子と映画見に行くことになった時は、どの映画をチョイスするかによって今後の関係が左右されるといっても過言ではない。

 デートムービーという言葉がある。

 それさえ引き当てれば2人の中も急接近間違い無しのハートフルな映画をいかに選ぶべきなのか。ここで映画好きとしてのセンスが試されるわけ。

 ひょんな事から久しぶりに女の子と遊ぶことになってニートは張り切って情報収集した。どうやらヨルゴス・ランティモス監督の二本立てがキネカ大森でやっているらしい。キネカ大森は大森にある名画座で、東京の大学行っている時にたまに通ってて、ニートになってからめっきり足が遠のいてしまった懐かしの地だった。遠のいたわりに半年くらい前に3枚綴りの名画座回数券を買っており、そのラスト1枚が残っていて期限が3月の末に切れそうだったので、このまま使わぬまま腐らせるのも忍びないと思い、遊びに行く女の子に「キネカ大森でやっている「籠の中の乙女」と「ロブスター」見に行こう」と送った。「いいね」と返信がきた。この映画が2人の中を取り持ってくれるような素敵な映画であったなら、俺にもようやく春が訪れるかもしれない。その時はそう思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ヨルゴス・ランティモス監督の作品はデートムービーではなかった。

 具体的にどの辺がデートムービーではなかったのかというと、冒頭5分足らずで全裸の男女がジョイントするわ、猫や犬が惨殺されるシーンがあるわ、性描写が露骨すぎてボカしが入っているわ、ところどころ目を背けたくなるような暴力シーンがあるわで「THE 異性とデートで一緒に見るべきではない映画」という感じであった。見に行きたいと言い出した俺はともかく興味もなかった女の子からしたら苦痛以外の何物でもないだろう。性描写が露骨すぎるのはちょっと本当にやめてほしかったというか。女の子誘って行った俺が悪いのかもしれない。

 小学生の頃に家で両親と一緒にキューブリック監督の「時計仕掛けのオレンジ」を見たことを思い出してしまった。あの時は冒頭数分でレイプシーンがあって、父親がテレビの前に仁王立ちして隠していたっけな。懐かしい。そのあとの「雨に唄えば」のシーンで強制停止させられたんだった。あの時もものすごく気まずかったけど、まだ肉親でビデオだったからよかった。今回は他人で2本立てだったから更にキツかった。映画館の闇の中で俺、顔真っ赤。何が恥ずかしいかって「こんな映画を日常的に好んで見てるやつ」だと思われてないかしらといういらぬ心配をしてしまってかなわんね。「こういう映画なんてほとんど見ないから」と弁解したくなった。今まで映画館で見た映画の中で1番エロかったのはラース・フォン・トリアー監督の「ニンフォマニアック」と監督知らんけどいつかパルムドール取ってた「アデル、ブルーは熱い色」くらい。エロい映画だって身構えていけばよかったけど、全然覚悟が足りなかったせいですごく恥ずかしかった。R指定ついてるのは知ってたのに馬鹿!俺!

 

籠の中の乙女

(あらすじ)
ギリシャのとある一家。息子(クリストス・パサリス)と2人の娘(アンゲリキ・パプーリァ、マリー・ツォニ)は、しゃれた邸宅に幽閉され、育てられてきた。ある日、父(クリストス・ステルギオグル)が成長した息子のためにクリスティーナ(アンナ・カレジドゥ)を家に入れる。しかし、子どもたちが外の人間に初めて触れたことをきっかけに、一家の歯車は少しずつ狂い始め……。(以上、シネマトゥデイより)

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 家から子どもを出さないために親がめちゃくちゃな事を教えて子どもたちに信じ込ませるっていうパッと見た感じコントみたいな設定。コントみたいなギャグ。「【海】という単語は革張りのソファのことです。」とか延々と単語の意味をぐちゃぐちゃにした教育テープ聞かせたり、猫を超危険な動物だと思わせるために血糊で怪我したふりしたり、親の言うことをちゃんと聞くとよかったシールみたいなのがもらえてその数を兄妹で競わせたり、犬歯が生え変わらないと大人になれないと教えたりしていた。登場人物も10人足らずだし、大部分のシーンが家と庭で撮影されてて演劇っぽいかなとも思った。見る前からこのストーリーに興味そそられてて、まず「子どもにデタラメなことを信じさせて育てる」っていう行為がものすごく面白そうで期待値が高まった。たとえば「サンタさんがクリスマスイブにプレゼントを持ってきてくれる」とか「赤ちゃんはコウノトリが運んで来てくれる」とかそういった親が子にファンタジーな嘘をつく場面て日本でも往々にして存在するわけじゃないですか。ああいう嘘って大人になる途中で自然と嘘に気づいていくからいいけど、もし外界と接触させずに育てたらそういう世界観をずーっと自分の中に抱えて生きていくことになっちゃうわけで。それって実はめちゃくちゃ危険なことなんじゃないのかと思いました。ただ、危険であると同時に非常に魅力的だなっていう。ワクワク感と不気味さのある設定だと思ったんだけど本編見てみたら「おぞましさ」100%でした。ふつう親が子供を自分の好きなように洗脳しながら育てるとすると「いつまでも純真でいてくれたらいいのに」って発想から「コウノトリ」的な嘘で性的なものをなるべく遠ざけようとすると思ったんだけど、開始5分で父親が長男に性欲処理の女性を斡旋するシーンがあって早々に観客にボディブローかましてきますわな。濡れ場の撮り方もすげーあっさりしててそれが逆に怖い。ほんとに「処理」って感じ。血が通ってないというか、昆虫の交尾みたいだった。子どもたちと父親は目離したら次の瞬間何しでかすか分かんない怖さがあってそれが90分ずーっと続いてしんどかった。長女が映画のビデオを親に隠れて見たことをきっかけに外に逃げ出すことになるんだけど、気が狂ったように映画の1シーンを暗唱したり真似したり踊ったり、でも生まれて初めて映画見たらあんな風になるよなって思った。子どもたちから言葉の意味を取り上げるためにたぶん本もテレビも絶対に禁止してる風だったし。父親のその狂った徹底っぷりは嫌ってほど描かれていた気がする。買ってきたミネラルウォーターから一枚一枚ラベルはがしていくシーンとかビデオデッキを狂気にするシーンとかで。父親がなんでそういう育て方をするようになった背景は最後まで描かれなくて、それも不気味だった。めちゃくちゃに歪んだ教育を受けても「家の外」が分からないとその異常さに気づかないって当たり前の話だけど、じゃあ普通ってなんなの?みたいな哲学。この映画の場合はその閉ざされた環境に持ち込まれた「家の外」がたまたま古い映画のビデオだった。最後家を抜け出すためにエグい試練乗り越えた長女の顔面が痛そうにしてんのにへらへら笑ってて、怖いやらカッコいいやら。

 

「ロブスター」

あらすじ
独身者であれば身柄を確保され、とあるホテルへと送られる世界。そこでパートナーを45日以内に見つけなければ、自身が選んだ動物に姿を変えられて森に放たれてしまう。そのホテルにシングルになったデヴィッド(コリン・ファレル)が送られ、パートナー探しを強いられることに。期限となる45日目が迫る中、彼はホテルに充満する狂気に耐え切れず独身者たちが潜んでいる森へと逃げ込む。そこで心を奪われる相手に出会って恋に落ちるが、それは独身者たちが暮らす森ではタブーだった。(以上、シネマトゥデイより)

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 独身を禁止する社会で主人公が右往左往するディストピアSF。「世にも奇妙な物語」チックなお話。一軒の家が舞台でいかにもこじんまりって感じの前作よりホテルとか動物とか森とかキャストとか露骨に予算増えたなあっていうのが連続して見るとなんか面白かった。近未来っぽい要素を「人を動物に変えるテクノロジー」一本に絞ってるのなんでなんだろう。あとは普通に現代と変わらない様子だったのにそこだけ変に浮いてる気がする。「籠の中の乙女」よりは素直に笑える部分が多かったけど、グロさ、エグさは似たり寄ったりだった。お兄さんが死ぬシーンはすごいな、と思った。あの会話の段階では冗談とかカマかけを期待して返事してたのに、血まみれの足を見せてすべてを分からせるあの演出超クール。ダメ押しであの洗面所のシーンと合わせて監督の徹底的に観客に嫌われようとするヒールっぷり突き抜けてた。共通点探しに固執してる描写が主人公とその周辺に何回も登場してその意図が気になった。鼻血を頻繁に出す体質の女性と仲良くなるためにわざと鼻血出す人とか、お兄さん殺した人も主人公がサイコパスのふりしたら一発で落ちたし、コンタクトレンズを確認する(あそこも相当性格悪い撮り方してて嫌だった)シーンもパートナーに無理やり自分を合わせようとする滑稽さを感じた。共通点がないと恋人でいられないことを死ぬほど皮肉ってるよね。かくいう俺も元カノにニコニコ生放送勧められたとき無理して「面白いね」って言ってたことがあってあんま笑えなかった。鼻血出す女の子が背泳ぎしてるシーンがエロくてかわいかったとか主人公たちが森で食べてる動物って元人間?とか独身レジスタンスのリーダーが不細工じゃなくて普通にだれとでも一緒になれそうな美人(調べたら「アデル、ブルーは熱い色」の人だった。全然気づかなかった。)だったのが意味深だったりした。この監督は徹底的に「普通じゃない」ことを描いてそっから「普通」を逆に際立たせるみたいなアプローチで映画作ってるのかな。筒井康隆の『笑うな』って短編集に「傷ついたのは誰の心」ってショートショートが載ってて、それは主人公が家に帰ると奥さんが警官に強姦されていて、それをやめてもらうように警官と押し問答する話なんだけど、めちゃくちゃな状況で普通に会話が続いてる気持ち悪さとかがあって、でも全体的にセンチメンタルで淡々としててなんか好きな話なんすけど、ヨルゴス・ランティモス監督二本立て観終わったらなんか読み返したくなりました。あと藤子・F・不二雄の「気楽に殺ろうよ」も思い出した。これは主人公が、性行為と食事の羞恥観念が逆転していて殺人が合法化されてるパラレルワールドに迷い込むって話でものすごく面白いです。

 

2本立て見に行った女の子からは当然のように連絡がこなくなりました。

ヨルゴス・ランティモスが傷つけたのは誰の心?

 

 

 

笑うな (新潮文庫)

笑うな (新潮文庫)

 

 

今さら「シェイプ・オブ・ウォーター」の感想など

 お金のないニートなのでファーストデイ割引がすごくありがたい。3月1日に「シェイプ・オブ・ウォーター」を見に行った。半魚人とその研究施設の掃除をしている女性のラブストーリーで、監督はギレルモ・デル・トロ

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2017年8月に第74回ヴェネツィア国際映画祭コンペティション部門で上映されて金獅子賞を受賞し、第42回トロント国際映画祭英語版で上映される北アメリカで2017年12月8日に一般公開の予定である。暴力描写や自慰行為の描写があるため日本国内では、東京国際映画祭で公開されたオリジナルバージョンはR18+指定で公開され、2018年3月1日に公開されるものは1か所をぼかし処理したR15+指定バージョンのものである第90回アカデミー賞では作品賞など4部門を受賞し、第75回ゴールデングローブ賞でも2部門を受賞した。 

ウィキペディア

  この監督の作品で見たことがあるの「ヘルボーイ」の一作目と「パシフィック・リム」と「パンズ・ラビリンス」くらい。あと監督じゃなくて制作総指揮のやつだけど「永遠のこどもたち」も見た。アメコミとか巨大ロボットとか残酷ファンタジーもホラーも撮るし、さぞマニアックな人なんだろうね、というふうな印象を持っている。「パンズ・ラビリンス」はけっこう怖面白かった、ペイルマンとかファンタジー要素も怖いけど現実世界の軍人が一番怖かった。頬っぺたざっくりやられて縫うシーンとかあって嫌だった。「ヘルボーイ」にもエイブ・サピエンていう半魚人キャラがいてこいつは中々カッコいいキャラだったような…でも続編追うほどハマりはしなかった。

 

 「シェイプ・オブ・ウォーター」は見る前から賞いっぱい取ってるのを知っていて、どうやらスンゲェ映画らしいという期待値バリ上げ状態だった。3月1日に「リバーズ・エッジ」と「シェイプ・オブ・ウォーター」どっちを見ようか迷ってたけど、「色んな賞とってるし」「劇場公開初日だし」という安易な理由から「シェイプ・オブ・ウォーター」を選んだ。R-15だったせいか公開初日なのにスクリーンが小さくて、すこし残念だった。

 

 で、観終わってもう一週間近く経って、昨日Twitter見たら「シェイプ・オブ・ウォーター」がアカデミー賞の作品賞含む四部門受賞ってのを知って「おお!」という気持ちになっていまブログを書いている。監督賞と作品賞ダブル受賞ってすごくないですか。直近だと「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」が取っているみたい。これも名作。

 

 なんで観終わってすぐにブログを書かなかったのかというと、個人的にはあまり面白くなかったから。つまらなくはなかったけど、「もう一回見たい」とか「感動した」とかそういう気持ちが一切湧いてこない系ムービーだった。見る前に期待値を上げすぎたのが良くなかったのかもしれない。どこのサイトでも「デル・トロ版「美女と野獣」だ!」みたいに熱っぽくみんなが褒めてるのも、観終わったあとだと祭りにのりきれないようで寂しい気持ちになってしまう。

 

 とにかく半魚人のヴィジュアルが怖すぎる。人間性を疑われるからあまり言いたくないけど全然助けてあげたいと思わなかった。たしかに「美女と野獣」のラストは「ありのままでいいとか言っといて結局最後はイケメンになるんかい」と思う。基本的には「外見よりハート」をモットーに掲げているこの俺でさえ「ちょっと無理だ」てなった。俺の中で「外見よりハート」が適応されるのは哺乳類までなんだなあと感じた。そりゃこっそりと暮らしている半魚人さんをアマゾンの奥地からはるばる誘拐してやれ実験やら解剖だなんだはぜんぶ人間側の都合だけどさ。人間て基本そういうもんでしょ。「彼を助けなきゃ私たち人間じゃないわ」という台詞があったけど、俺はどうやら人間じゃない。多分あの世界にいたら積極的に石とか投げるわ。あの異形の姿に美しさを感じたり慈しんだりする心も人間的だと思うけど、一方で人間に近いゆえの嫌悪感や不気味さを感じて迫害したりすることだって当たり前の感情のような気がしてしまう。

 

 半魚人と性行為するか、半魚人を殺して解剖するかだったらどう考えても前者のがいかれてると思ってしまってそこにひっかかって最後までいまいち盛り上がれず...。でも、この映画から恋愛要素を引いたら「E.T.」の焼き直しみたいな薄味になると思うし、難しい。(ちなみに「E.T.」もE.T.の見た目がキモ過ぎてあまり好きな映画ではない)

 

 半魚人のことを「醜いモンスター」としか認識できなかったから、登場人物の中なら半魚人めっちゃ殺したがるストリックランドのほうが感情移入できたかな。あとホフステトラー博士とジャイルズも好き。性愛の対象として見てるイライザはもうぶっ飛びすぎててついていけない。半魚人でさえ彼女いるのになんで俺にはいないんですか。あの映画見て「ロマンチックね」とかいえるならコミュ障ニートでもいいだろ。ダメか。

 

 舞台はアメリカだけどレトロな美術がどことなく「アメリ」を思い出した。あとなんとなく「ダンサー・イン・ザ・ダーク」も。障がいを持ってる女性の生活とか日々の薄暗い感じが似てるかも。ストリックランドの聖書のエピソードを引用しながら脅迫する感じもタランティーノの「パルプ・フィクション」っぽいなあ。こういう自分の見てきた映画から似たモチーフをあれこれ探してしまう。昔っぽいミュージカルとかタップダンスも「ラ・ラ・ランド」でそういうのやってたよねって感じだった。

 

 でも、「シェイプ・オブ・ウォーター」のストーリーのもとは監督が6歳のときから温めていた案らしいので、多分やりたいこと全部詰め込んだら自然とこうなったんだろう。キャスティングとかに文句つけられるのが嫌だったから、製作費の一部を自分で負担したとも言っていたからそれだけ思い入れの強いテーマなんだね、きっと。ただ、六歳のころから半魚人と人間の恋愛を妄想するデル・トロ監督もちょっと頭おかしいと思う。

 

 映画のラストは、イライザにエラが生えてふたりで一緒に暮らしましたとさ的な着地迎えるけども、友達より同僚より半魚人と一緒になっちゃうのもったいなくない?て思ってしまった。あのまま水の中で暮らしてたら主食が虫とか生魚になるじゃないすか。映画も観れないしゆで卵だって二度と食べられなくなるのに、「愛さえあれば幸せ」なのか。本当にそうなのか。

 

 シーン単位で面白いところは結構あった。

 最初の方のイライザのゆで卵と自慰と仕事中心の生活がテンポよく切り替わっていくところ。ホフステトラー博士が国を裏切って半魚人逃がそうとするところ。流ちょうなセールストークに乗せられて車を買わされるところ。ジャイルズがカフェの店員に露骨に同性愛差別されるところ。ゼルダの旦那さんがイライザのことストリックランドに告げ口しちゃうところ。

 

 映画全体を通して「喋れること」と「喋れないこと」について考えさせられた。

イライザも半魚人も声を発することができない。

イライザのアパートの同居人であるジャイルズも意中の人に同性愛者だってことを打ち明けられず悶々としている。

ホフステトラー博士もスパイとして祖国の命令に従うために本当の自分の気持ちを押し殺している。

イライザの同僚の黒人女性ゼルダもストリックランドとの会話シーンを見るに人種差別されていてその発言が軽んじられている。

 

 生まれつき喋れなかったり、喋る内容を不当に押さえつけられたりする人たちが、一致団結して流れに反発するお話し。その中心にあるのが半魚人と人間の言葉を超えた恋愛なのであるよまったく。だから悪役は人種差別主義の動物虐待セクハラ親父ってことなのだけれど、そういうのも昨今の世界情勢を皮肉ってる向きがあるかもしれん。でも押さえつける側であるストリックランド自身も家族含む他人の言葉に心底うんざりしていて、それゆえに喋れないイライザに興味を持っていて…て感じなのかなあ。

 

デル・トロの映画で描かれる、現実に満足していないマイノリティたちは、“夢”を必要としている。イライザが観ている古い映画や、『パンズ・ラビリンス』の少女オフェリアが抗いようもなく惹かれている妖精の世界や、おとぎ話の“夢”が必要なのだ。それは、デル・トロ自身が子供の頃から必要としていたに違いない“夢”と同じなのだろう。メキシコで生まれ育ち、当時は“オタク”というマイノリティーだった彼は、幼い頃から映画や怪獣やモンスターといった異形のものに惹かれていた。そして、その異形の存在に救われてきた。映画人として国外に活躍の場を移しても、メキシコ人であることで差別を受けてきた。彼自身が、イライザであり、オフェリアなのだ。

(小島 秀夫)

 

 アカデミー賞取ったんでまだ見てない人はぜひ。

あ、そういえばこのブログめっちゃネタバレしてますね。もし見てない人いたら申し訳ないけれど。今さら過ぎる。

 

新しい卵ドリル おうちの卵料理が見違える!

新しい卵ドリル おうちの卵料理が見違える!

 

 

女の子に貸した漫画は永遠に返ってこない

「お前はお喋りが退屈でないのか」
「あたりまえさ。誰だって喋っていれば退屈しないものだよ」
「俺は喋れば喋るほど退屈するのになあ」
「お前は喋らないから退屈なのさ」
「そんなことがあるものか。喋ると退屈するから喋らないのだ」
「でも喋ってごらんよ。きっと退屈を忘れるから」
「何を」
「何でも喋りたいことをさ」
「喋りたいことなんかあるものか」

桜の森の満開の下坂口安吾

 

 横浜駅スターバックスにてこの文章を書いている。アイスコーヒーのトールを飲みながら。土曜日の午後なのでやたら人が多い。激混みのスタバの中、タブレットPCで作業するマザファッカの仲間入りした高揚感(さすがにmacではないけれど)。最近、少しずつ暖かくなってきてもう春。花粉かわからんけど鼻水がやばい。スタバで書いてるのにブログがおしゃれにならない。鼻水がやばいってなんだ。

 

 女の子に貸した漫画が返ってこない。すこし仲良くなったと思ったらほいほい漫画を貸してしまう俺がいけないのだけど、貸してる間に疎遠になってしまって、返ってこないパターンがほとんどで困る。思えばいろいろな人にこれまで漫画を貸してきた。高校の時、初めて付き合った女の子がかなりの漫画好きで、その影響で俺も漫画を色々集めるようになったんだった。初めて家に遊びに行ったときベッドの下から100円ショップの漫画ケースを十数個ぶわーっと取り出してきて度肝を抜かれた。人並みに漫画を読んできたほうだと思ったけど、こんな漫画集めてる女子がおるのかとカルチャーショックを受けた。その女の子から『HUNTER×HUNTER』を借りて、ヨークシン編のウヴォーギンVSクラピカにおける冨樫の天才っぷりについて語り合うのがめちゃくちゃ楽しくて、人に漫画借りたり貸したりする楽しさに目覚めた。中学までよく漫画の貸し借りしてた友達は『ボボボーボ・ボーボボ』とか『ヘルシング』とかそういった変化球ばっかだったので『HUNTER×HUNTER』の衝撃はすさまじかった。「彼氏の影響で少年漫画にハマって~」とかいう女の子はよくいるけど、そういうのってどうなんだ。どこまでディープな趣味まで付き合ってくれるんだろう。彼氏に『ザ・ワールド・イズ・マイン』とか『殺し屋1』とか『餓狼伝』とか『シグルイ』とか『喧嘩稼業』とか『WATCHMEN』勧められてもハマっていくのだろうか。「彼氏の好きなものは私も好きになりたい」的なスタンスの女の子と付き合ったことがないからいつも無理やり貸してる気がする。迷惑だな。

 

 穂村弘がエッセイの中で、ラブホテルで大島弓子の『たそがれは逢魔の時間』のセリフを一緒に暗唱し合ったとか彼女の部屋でしりあがり寿の『夜明ケ』を読んで感動したとかそういうエピソードを紹介していて文化系ボンクラの俺としてはいたく憧れたものだった。でも、女の子に漫画貸して「良かった」みたいに言われることあんまない。むしろ貸してる間に喧嘩したり、疎遠になったりすることが頻発してどうしようもない。もし女の子と付き合ったらよしもとよしともの『ライディーン』とか読んでいただきたい。俺からよしもとよしともの『ライディーン』借りて読んでくれる女の子いねーかな。

 

 前の彼女には『子供はわかってあげない』を貸したままフラれたし、その子には『げんしけん』も貸して結局読まずに返されたこともあって悲しかった。『おやすみプンプン』みたいな不健康な漫画を読むくらいなら『げんしけん』を読んで欲しかった。tinderで最初に会った女の子には舞城王太郎の『好き好き大好き超愛してる』を借りパクされかけたけど、貸してから2ヶ月過ぎても読んでないっぽかったので、『闇金ウシジマくん』の取り立て並みにプレッシャーかけて、どうにか取り返した(返してもらった後に即LINEブロックされた)。女の子って男より漫画読むの遅くないですか。たまに男でも全然返さないやついるけど。大学の時のサークルの同期に『バイオーグ・トリニティ』をそれまでに発売された6巻くらい貸したらそのあと一年くらい返ってこなかったことがあって、その時もしつこく催促してたら返ってくるときに新刊出てる分を2冊買って返ってきて「そのお詫びの仕方新しいな」と思った。自分でも普通に新刊追ってたんでお詫びの分のその2冊がダブってちょっと困ったけど、友情の証としてなんとなく取っておいてる。中学の時のある友達は家庭内ルールで漫画禁止のために朝に貸した『ジョジョの奇妙な冒険』数巻を帰り道の間までに読んで返すというTSUTAYAもびっくりの当日返却してきて、そいつくらいにみんな早く読んで返してほしいですね。すぐ感想を聞きたいから。

 

 エセ漫画ソムリエ気取りの貸したからには絶対感動してもらいたいという押しつけがましさが良くないのかなと思う。俺が暑苦しく勧めるせいで傑作との自然な出会いを邪魔してしまってるのかもしれない。というかそこまで漫画も詳しい方じゃなくて中高生時代に友達と遊びに行ったりする健全な青春を送れなかったため、BOOKOFFで暇つぶししてる時間が人より多かっただけである。あと『ドラゴンボール』通しで読んだことないので漫画好き名乗る資格ない。

 

 前にブログに書いたけど、tinderで知り合った静岡の女の子に古谷実の『ヒミズ』を貸して、その女の子にもう一回会うことになって「『ヒミズ』まだ読み終わってないけど新しい漫画貸して」って言われて「今借りてるの読んでないのに新しいの借りるってすげえな」と思いつつ、幸村誠の『プラネテス』という漫画を貸した。人に漫画貸すときって「サクッと読めるようになるべく短い巻数で完結してるのがいいかな」とか「ハイセンスに思われたいな」とかいろいろ考えながら本棚とにらめっこするわけで、そのなかでも『ヒミズ』と『プラネテス』はかなりの鉄板チョイスなんで、「こりゃ勝負あったな」て感じでドヤ顔で貸したけど、結局そのあとなんとなくその女の子のことを嫌いになってしまって連絡先を消したので、その子の『ヒミズ』と『プラネテス』の感想を聞くことも、『ヒミズ』と『プラネテス』が返ってくる機会も失われてしまった。借りパクというより俺の貸し逃げという意味不明な行動になってしまった。嫌いになった理由はいろいろあるけど、その子のせいというよりは静岡県という場所がよくなかった。ものすごく遠くて電車に3時間くらい乗らないといけないし往復の電車賃が5千円くらいかかる。あと途中バスに乗らないといけなくて、そのバスも両替のプレッシャーでお釣り取り忘れたりして、バスが苦手な俺はもう凹みにへこんだ。元カノの家は電車で2時間くらいでそれでもかなり嫌だったのに、元カノよりかわいくない女の子に会うために3時間かけるのがバカバカしくなったという理由もある。1回目に会った時はそこそこ楽しかったのに2回目に会うと「ここはちょっと」という点がちらほらと見つかって、やりきれん。こうやって理由を挙げているとかなり身勝手だけど、3時間の電車移動というのは人を身勝手にさせるものなのだ。どうあがいても「3時間かけてわざわざ会ってる」みたいな気持ちになってしまうので、俺はどうもそういう距離的なものに人間関係を制限されるタイプらしい。

 

 tinderでやたら出会いを探していたのも、元カノに別れ際にボロクソ言われて、「俺のことを受け入れてくれる女の子なんてこの地球上にいやしないんだ」とかいう変な被害妄想に憑りつかれたためで、そのせいでさみしくてどうしようもなかったけど、少なくとも静岡県にいる女の子とは懇ろになれたので、もうどうでもいいかという気持ち。これも賢者タイムの一種なのだろうか。あとtinderとは別に会って見た目褒めてくれた人がいて、それもかなりうれしかったから自信を取り戻せた感がある。社交辞令かもしれないけど、褒められたらすぐいい気になります。ニートと懇ろになってくれる女の子なんて冥王星の果てにいるかと思ったら、電車で3時間のところにいました。それでも俺にとっては遠すぎて会いに行くのめんどくさいから困ってしまう。

 

 こうやって女の子に会って漫画を貸してそのまま疎遠になって…を繰り返し続けたらいつの日か本棚が空っぽになるのではなかろうか。ポール・オースターの『ムーン・パレス』に主人公がお金に困って自分の部屋の本を片っ端から売っていく場面があったけど、俺は漫画を貸し続けて異性とのつながりも途絶えていって、踏んだり蹴ったりという感じです。

 

 岡崎京子の『リバーズ・エッジ』が最近映画化されて、「観たいなあ」みたいなことをたまたま連絡とってた女の子に言ったら「原作読んでみたい」と言われて「じゃあ貸すよ」ってまた俺の漫画貸したがり癖がさく裂した。勧めた漫画がどんなに面白かろうが、傑作だろうがそれはすべてその作品を作りだした漫画家のおかげなので、貸したやつがいい気になったりするのはお門違いなのだけど、こればかりはやめられない。もしかしたら「こんな面白い漫画を知ってるなんて…かっこいい」と思われるかもしれない。その可能性が1%でもある限り、貸さないわけにはいかんでしょうが。

 

 まだ出会ってないけど、これから出会うかもしれない女の子を感動させるために5巻以内に完結するおしゃれな漫画を俺はこれからも探し続ける。男に貸す漫画は大体伊藤悠の『皇国の守護者』を貸しとけばいい。だってアレめっちゃおもしろいから。なんだかんだいって5巻以内に完結する漫画で一番面白いの『皇国の守護者』か松本大洋の『ピンポン』説ない? あると思います。そういえばこの前急に冨樫の『レベルE』めちゃくちゃ読みたくなって、部屋探したけどどこにもなくてストレスがやばい。多分これは男の友達に貸したっきり帰ってきてないパターン。誰に貸したのか覚えてないけどはやく返してほしい。

 

 

レベルE (Vol.1) (ジャンプ・コミックス)

レベルE (Vol.1) (ジャンプ・コミックス)

 

 

元カノぼくが長期ニートしてたらどんな顔するだろう

  それならば、生存の孤独とか、我々のふるさとというものは、このようにむごたらしく、救いのないものでありましょうか。私は、いかにも、そのように、むごたらしく、救いのないものだと思います。この暗黒の孤独には、どうしても救いがない。我々の現身は、道に迷えば、救いの家を予期して歩くことができる。けれども、この孤独は、いつも曠野を迷うだけで、救いの家を予期すらもできない。そうして、最後に、むごたらしいこと、救いがないということ、それだけが、唯一の救いなのであります。モラルがないということ自体がモラルであると同じように、救いがないということ自体が救いであります。

文学のふるさと坂口安吾

 

 先日、23歳の誕生日を迎えた。と同時に青春が死んだ。

 もう成人しているのに甘ったれたことを言うと、大人になった実感がこの23歳という年齢に達しても微塵も感じられない。サラリーマンやっていた3ヶ月足らずもまるで何かの悪い夢のようであった。去年の6月に辞めてもう8ヶ月か。そりゃ忘れるよな。大人と子どもをどこで線引きするか、という境目は人それぞれだと思いますが、22歳から23歳になるのは俺にとって単純にひとつ歳をとっただけでなくて、大きな意味を持って迫ってくる。それは、「22歳まではなんとなく大学生ノリが許容される」という勝手な思い込みによるもので、大学四年生に迎えた22歳の青春の魔法が終わりをつげてしまったようなその悲しみに打ちひしがれて家でふるえています。勝手にふるえてろ

 

 誕生日の前の日、高校の時の友人と塚田農場で飲んだ。俺のほかに会社員と教員と院生の合計四人で。塚田農場は地鶏の炭焼きとかチキン南蛮がおいしいけどちょっと高い居酒屋さんで、大学生時代はあんまいったことなかったけど、社会人ふたりは「よし、塚田農場いくか」ってすんなり入っていて経済力の盤石さを見せつけられた気がした。いつも俺が行ってるのは鳥貴族とか一軒目酒場とか大学生が行ってるようなそんなところだったので、久しぶりの塚田農場はテンションが上がった。

 

 社会人なのに会社員と教員はわざわざ仕事終わりに俺の最寄りの駅まで来てくれた。「お前ニートなら交通費かかるのいやだろ」つって。女の子に会いに行くために往復5千円かけて静岡県いくようなニートなので、別に数百円程度は大丈夫だったけど、仕事終わりに家と逆方向の電車に乗って来てくれる友情にぶっちゃけ胸が熱くなった。こんな社会から全力でドロップアウトしたニートに会うためにわざわざ家と逆方向の電車に乗ってくれる人間なんて神かマザーテレサガンジーかって話。最高のホーミーに感謝。

 

 教員と会社員の二人が主に話すのは仕事の愚痴だった。新卒で入ってもう一年近く経ちちょっとずつ職場に馴染んでいて面白い上司の話や先輩の話を楽しげに語る。4月には後輩もできる。どうやらなんとか立派な社会人をやっているようだった。「おまえ最近なにやってんの」「家で本読んだり、漫画読んだり…」あゝなんだか俺ものすごくダメ人間みたいだ。まあ、ダメ人間なんだけどさ。院生はそろそろ就活が始まってめんどくさいというような話をしていた。理系の院生なので研究を活かした分野で働きたいといっていた。頑張ってほしいと思った。就活で大失敗した俺は就活のことなんて思い出すだけで心に深刻なダメージが残るね。特に協調性が終わっているのでグループディスカッションにメンタルをボコボコにされたの本当嫌だったな。負け犬の遠吠えかもしれないけど、俺はああいうところでテキパキ振る舞える人といっしょに働きたくないんだと思う。でも企業が欲しいのはそういう人材なんだろうな。

 

 みんな、いつの間にか「ちゃんとした大人」になっていた。

高校の時はあんなにバカなことしていたのに、どこでこんな社会性を身に着けたのだろう。摩訶不思議。高校のときイケてなくてあんま羽目外してなかった俺はなんで社会性を身に着けられなかったのだろう。彼らの「日々のめんどくささ」と戦っている強さが目をそむけたくなるくらいにまぶしかった。

 

なあ、お前と飲むときはいつも白木屋だな。一番最初、お前と飲んだときからそうだったよな。

俺が貧乏浪人生で、お前が月20万稼ぐフリーターだったとき、おごってもらったのが白木屋だったな。 「俺は、毎晩こういうところで飲み歩いてるぜ。金が余ってしょーがねーから」お前はそういって笑ってたっけな。

俺が大学出て入社して初任給22万だったとき、お前は月30万稼ぐんだって胸を張っていたよな。 「毎晩残業で休みもないけど、金がすごいんだ」「バイトの後輩どもにこうして奢ってやって、言うこと聞かせるんだ」 「社長の息子も、バイトまとめている俺に頭上がらないんだぜ」そういうことを目を輝かせて語っていたのも、白木屋だったな。

あれから十年たって今、こうして、たまにお前と飲むときもやっぱり白木屋だ。 ここ何年か、こういう安い居酒屋に行くのはお前と一緒のときだけだ。 別に安い店が悪いというわけじゃないが、ここの酒は色付の汚水みたいなもんだ。 油の悪い、不衛生な料理は、毒を食っているような気がしてならない。

なあ、別に女が居る店でなくたっていい。もう少し金を出せば、こんな残飯でなくって、 本物の酒と食べ物を出す店をいくらでも知っているはずの年齢じゃないのか、俺たちは?

でも、今のお前を見ると、お前がポケットから取り出すくしゃくしゃの千円札三枚を見ると、 俺はどうしても「もっといい店行こうぜ」って言えなくなるんだ。 お前が前のバイトクビになったの聞いたよ。お前が体壊したのも知ってたよ。

新しく入ったバイト先で、一回りも歳の違う、20代の若いフリーターの中に混じって、 使えない粗大ゴミ扱いされて、それでも必死に卑屈になってバイト続けているのもわかってる。

だけど、もういいだろ。十年前と同じ白木屋で、十年前と同じ、努力もしない夢を語らないでくれ。 そんなのは、隣の席で浮かれているガキどもだけに許されるなぐさめなんだよ。

 同級生たちに大きく引き離されていて、背中も見えないくらい置いていかれてしまったことをその飲み会で確認できた。もう白木屋のコピペを笑えない。というと劣等感爆発してるクソつまらない会みたいに思われるかもしれないけど、普通に楽しかった。塚田農場は名刺のようなポイントカードがあって通うとだんだんと昇進していくというシステムでなんかやっていて前行ったときに貰った塚田農場のカードは定期入れに入れっぱなしでぐちゃぐちゃになっていたけど、昇進すると昇進祝いにおつまみがもらえるらしいので、そのぐちゃぐちゃになったポイントカードを出した。課長になった。ニラと卵黄がトッピングされたピリ辛の冷ややっこのようなものをもらった。

 

 地元で飲む最大のメリットは、終電を気にしなくていいこと。そのことが嬉しくて調子にのってわけのわからない焼酎ばっか飲んでしまった。本当はあまり好きではないけど、焼酎が一番体に良いらしいので、なるべく焼酎を飲むようにしている。焼酎のせいで飲み会で何を話してたか全然覚えていない。「前会った時よりも痩せた」って言われた。うれしかったけど、「お金ないから食べ物あんま買えなくて」って言ったら「戦後かよ」とか言われた気がする。人と話すとき、結構緊張したりするほうだから、お酒飲んでどうでもいいことをベラベラ喋りたくなるようなあの感じが好き。

 

 飲み会が終わったのが日付をまたいで9分後くらいだったので、店を出て「俺実は今日で23歳になったんだ」と言ったら「オールしようぜ」ってなったけど、家の布団で寝たかったので3人を駅まで見送って電車で帰した。

 

 目黒シネマで正社員を募集してて、応募しようと思って履歴書を書いたけど、志望動機の作文を書けなくて結局断念した。「名画座で働けば映画いっぱい観れるかな」という浅くて薄っぺらい志望理由しか俺は持ち合わせていなかった。あと目黒シネマのTwitterアカウントが「応募者がたくさんいて、連絡にお時間いただいております」みたいなことつぶやいていて「そんなたくさんのひとからニートが選ばれるわけないな」と思ってしまったのもある。しばらくしたあとに目黒シネマのホームページを見たら正社員募集の告知がなくなっていて誰か受かったんだなあという気持ちになった。そんだけ。

 

俺のこういう非生産的生活はものすごく貴重な人生の一ページを無為に消費することで成立してる。受験生のとき塾の先生が「浪人すると人生で稼ぐ金の中から年収が一年分減る」みたいなことを言っていた。でも、ニート生活はお金で換算できない何かも確実に失われている気がしてならない。彼女にも愛想つかされたりだとか。

 

 彼女は別れ際に「お前は一生バイトしてろ」みたいに言っていて、そんなん言われたら「じゃ逆にニートやってやるよ」みたいな対抗心でここまでズルズル生きてきたけど、どうなんだ。そろそろスラムダンクの三井ばりにカムバックかますべきなのかもしれない。

 

 いろいろやらなくてはいけないこともある。ブログにあんま書いてないけど、公務員の専門学校に通っている。あまり勉強していない。仕事やめたあとに再就職したくなさ過ぎて彼女に倣って軽い気持ちで入ったから、フラれた瞬間にモチベーションが地に落ちた。こればかりは本当に自分でもクズだと思う。親にも申し訳が立たん。

 

「アリとキリギリス」でいうなら完全なるキリギリス側の人間。未来のことなんてどうでもいいと思って刹那的に生きていたらこういう状況。23歳になったら急に気持ちが落ち込んでしまった。こんなネガティブなことをブログにメソメソ書いている時点でダメなんでしょうけど。

僕が早熟を装って見せたら、人々は僕を、早熟だとうわさした。僕が、なまけものの振りをして見せたら、人々は僕を、なまけものだと噂した。僕が小説を書けない振りをしたら、人々は僕を、書けないのだと噂した。僕が嘘つきの振りをしたら、人々は僕を、嘘つきだと噂した。僕が金持ちの振りをしたら、人々は僕を、金持ちだと噂した。僕が冷淡を装って見せたら、人々は僕を、冷淡なやつだと噂した。けれども、僕が本当に苦しくて、思わずうめいた時、人々は僕を、苦しい振りを装っていると噂した。

 どうも、くいちがう。

『斜陽』 太宰治
 

 

 

イソップえほん (10) アリとキリギリス

イソップえほん (10) アリとキリギリス

 

 

ニートが女の子に会いに静岡に行った話

「影と『ドッペルゲンゲル』。私はこの二つに、月夜になれば憑かれるんですよ。この世のものでないというような、そんなものを見たときの感じ。――その感じになじんでいると、現実の世界が全く身に合わなく思われて来るのです。だから昼間は阿片喫煙者のように倦怠けんたいです」

 

Kの昇天――或はKの溺死』  梶井基次郎

 

 冬の魔物にすべての生きる力を奪われたせいで布団に閉じ込められてしまってこの2週間くらいひたすら寝て過ごした。雪が降ったりしていたような気がする。雪が降っているのをぼんやりと自分の部屋の窓から眺めていたはずなのに、その記憶すらもおぼろげではっきりしない。ひたすらに寒くて眠くて活動する気になれなかった。最近の生活は夢を見ている時みたいな時間がゆっくり流れてるんだか早く流れてるんだかよくわからないようなそんな感じでこれは、寒さから逃れるための逃避として常人とはかけ離れた集中力をもってひたすら睡眠に没頭したために脳の時間感覚を司る部位になんらかの支障がおきたのだと考えられる。俺は冬生まれなのに何でこんなに寒さに弱いんだろうか。そういえばもうすぐ誕生日がやってきてついに23歳になってしまう。ニートのまま23歳を迎えるとは思わなかった。子どものころに思い描いていた23歳はこんなじゃなかった。こんなダメ人間になるはずじゃなかった。冷蔵庫に入ってる萩の月を勝手に食べて怒られるような大人になるなんて。

 

 起きている間は、本を読んだりする気にもなれず、というより指一本動かすことさえ億劫だったのでずっとYoutubeをみていた。一日に30時間くらい見ていたせいで目がつぶれた。見ていたのはフリースタイルのバトルで、これは近年のラップブームに浅く乗っかってみようというミーハー根性のたまもので、ひたすらバトルの名勝負、名パンチラインのダイジェスト動画を視聴しまくっていた。面白いなあ。韻を踏むとか、リズムに乗るって人間の原始的な部分の気持ちよさを刺激するエンターテインメントだと思う。あとドラマ的っていうかキャラとキャラのぶつかり合いだとか、因縁とか下剋上とか敵討ちとかリベンジマッチとかそういう物語っぽい要素がぎっちり詰まってるので、笑えるし、泣けるし、熱くなれる。目の前で相手のことをディスるっていう行為の清々しさ。このSNS全盛の時代だからこそあこがれてしまう。単なる悪口の応酬がだんだん熱を帯びて会場をぐわっと盛り上げていく瞬間のカタルシスですよ。本当に勢いのあるラッパーが放つ渾身のパンチラインて動画越しでも分かるくらい場の空気を変えてて総毛立つほどシビれる。その空気が変わる一瞬を求めて布団の中でスマホ握ってラップバトル見続けてひたすらノッていた。そんな痛快エブリデイ。

 

 それと並行してtinderの女の子にはドタキャンされ続けていた。あまりにもひどいドタキャンのされ方に打ちのめされて人間不信になるかと思った。「私はあなたみたいなその辺のやつと違うから」とか言われて待ち合わせすっぽかされたりした。今思い出してもこの言い草には納得がいかない。そこまでかわいくなかったのに。ドタキャンに次ぐドタキャン。ドタキャンラッシュアワー。ドタキャンブーム。ドタキャンキャリーオーバー。あまりの断られっぷりにキレかかってる時に1人の女の子と出会う。

 

 静岡に住んでる女子大生なので、ここではお茶子と呼びます。お茶子さん、話した感じだとかなりtinderで遊んでる人らしくて、セフレが何人もいるそう。うわービッチだなあと思いつつ仲良くなるにつれて実はかなりの映画好きであることが判明して、俺のテンションが上がる。映画のこと話す時だけしかイキイキできないタイプの根暗なので、女の子が映画好きだとつい早口になっちゃうのです。で、LINE交換して色々話してるうちに、お茶子がなんかエロい写真とか急に送ってくるようになってちょっとビビる。セフレのために撮りためてたエロい写真が大量にあると言っていた。もうその時点で計り知れないポテンシャルを感じてしまった。世の女子大生はセフレのために自分のエロい自撮りを用意するのか。そんなけしからんことをやってないで勉強せい、と思ったけどありがたく頂戴した。

 

 そのあと色々会話しているうちに、直球の下ネタで申し訳ないんですけど、お茶子が「お前のジョニーが見たいから撮って送れ」とか言ってきて、これにはさすがにどうしようかと思って、確かにエロい写真を一方的にもらってる立場としては嫌だと言いづらいじゃないですか。で、「女の子が男のジョニー見たってしょうがないでしょう」「いや女の子もそういうの見たいから」という問答が延々と続き、執拗にジョニーの写真を要求してきたこの時点で、お茶子は美人局、或いはゲイのネカマなのではないかという疑惑が持ち上がる。でも、心のどこかでは純粋にジョニーを見たがってるエロい女子大生なのではないかという可能性も捨てきれずにいた。

私ははっとした。もしかしたら、何もかもオーギーのでっち上げじゃないだろうか? おい、僕をかついでいるのか、そう問いつめてみようかとも思ったが、やめにした。どうせまともな答えが返ってくるはずはない。まんまと罠にはまった私が、彼の話を信じた──大切なのはそのことだけだ。誰か一人でも信じる人間がいるかぎり、本当でない物語などありはしないのだ。

『オーギー・レンののクリスマス・ストーリー』  ポール・オースター

 結局、俺が押し負けた形で自分のジョニーを撮って送ることになるんですけど、世界一醜悪なセルフポートレートと言っても過言ではなかった。撮ってる間も「自分はいったい何をやっているんだろう」という問いが頭をよぎりそのまま虚無へ引きずり込まれそうになって危なかった。でも一応、構図とかライティングに気をつけて撮影した。謎のこだわり。いくら頼まれたからと言って会ったこともない人に自分のジョニーの写真を送るってその時点で犯罪になるんじゃないか。AV女優がTwitterで「知らん人からDMでジョニーの写真が送られてくる」なんて言ってたけど、送る人もわざわざこんな自らが虚無に引きずりこまれかねないことをよく自主的にしようと思えるな、と怖くなった。あと、もし本当に悪用されたら社会的に死ぬなという感じがあった。リベンジポルノ問題は国が総力を挙げて早急に対策に乗り出すべきだと強く思った。

 

 ジョニーの写真をお茶子に送ったら「ありがとう」とのメッセージが来たので「どういたしまして」と返信した。特にその写真についてはそのあと何も言われなくてちょっと切なかった。いや別に感想を聞きたかったわけじゃないですけど。

 

 そんなこんなやっているうちに「静岡こない?」と誘われて二つ返事で「行く」と言ってしまった。お茶子は一人暮らしなのでその家に俺を呼ぶということはそういうことなんだろうと思った。軽く「行く」と言ったが、俺の家は静岡行くのに電車で3時間くらいかかるほど遠い。急にニートが平日に外泊すると親が怪しむだろうと思って「高校の時の友達の家でスプラトゥーンやってくるから」という微妙な嘘をついて家を出た。そもそも1人で鈍行で県外に行くの初めての経験だったので結構ワクワクしていた。お茶子のバイト終わりが夜の10時くらいらしいので6時くらいに東海道線に乗り込んだ。

 

 夜の東海道線は最初はやや混んでいたが、だんだんと下っていくうちに人が減っていって、どことなく『千と千尋の神隠し』や『秒速5センチメートル』の電車のシーンみたいになった。神奈川の端っこにさしかかったあたりから外が真っ暗になって、闇の中を突き進む銀河鉄道に乗っているようなそんな気持ちになった。ニートがこんな夜に自分の住んでる家から遠く離れる電車に乗っている非日常に胸が高鳴ったけど、そういう気分も長くは続かず、ちょっと眠ろうと目を閉じたが東海道線のリクライニングが直角すぎてうまく寝れなかった。一時間半くらいして熱海で一回乗り換えることになって、乗り換えたけど露骨に車内広告が減って「田舎の電車だな」と感じた。さっきまで乗っていた東海道線より明らかに寒かった。隙間風がどこからか車内に吹き付けていて勘弁してほしかった。乗り換えてからまた一時間半くらいかかるので、暇つぶしにお茶子に貸すために持ってきた『ヒミズ』を読むことにした。それまでギャグ漫画を描き続けていた古谷実が初めてシリアスなストーリーに挑んだ傑作漫画で園子温が監督して映画にもなった。お茶子はこの映画版が好きらしい。俺はどちらかというと原作の方が好みだったので、久々に読み返すとあまりの面白さにのめりこんでしまった。ちょっとギャグが残っている1巻から2巻の中盤にかけての展開の落差が凄まじすぎていつ読んでもズシっと心に残る。なんとも言えない負のパワーを強烈に感じる。3巻から4巻はそこまで物語が大きく動くわけじゃないんだけど静かな絶望が感じられて良い。主人公の住田君は「普通になりたい」と常に願っている中学生で、親に捨てられたりヤクザに暴力を振るわれたりしているうちについに人生におけるジョーカーを使ってしまうんだけど、その使い方があまりにも悲しい。最後の終わり方なんてあまりにも暗すぎて映画版だと真逆に改変されてるくらいだった。あと映画版だと住田と同じ歳で漫画家目指しているきいちの存在が省略されてたような。あれも住田の境遇と対比させるポジションとして重要だったと思うので、「省略すな」と思った。きいちが漫画賞取ったあとに住田に報告するシーンが一番好き。その時の住田がものすごく痛々しいけど気高くて、かっこいいんです。

 

 一時間半くらいヒミズを読みながらダラダラと電車に乗っていたらお茶子の住む駅に着いた。駅員や降りる客も誰もいなくて、オカルト板によくある存在しないはずの駅にたどりついてしまったのではないかと心配になった。あと、静岡県って尋常じゃなく寒い。これでもしお茶子にドタキャンされていたら、確実に死ぬと思った。駅の周りにも何にもなくて、見渡す限り真っ暗だった。え?まだ夜の10時だよね。なんでこんな静かなの?怖い怖い怖い。携帯も寒すぎてバッテリーがぐんぐん減っていく。予備の携帯充電器も忘れてしまったのでここで電源落ちたら連絡取れなくなって大変だぞって思っていたけど待ち合わせ時間の10分後くらいにお茶子がやってきて、ほっとした。

 

 そのあとは家に泊めてもらって色々あったんですけど、それを書くにはあまりにも余白が狭いので省略いたします。次の日に「炭焼きレストランさわやか」っていうハンバーグ屋さんに連れてってもらったけど中が生焼けでびっくりした。

 

 

新装版 ヒミズ 上 (KCデラックス ヤングマガジン)

新装版 ヒミズ 上 (KCデラックス ヤングマガジン)

 
新装版 ヒミズ 下 (KCデラックス ヤングマガジン)

新装版 ヒミズ 下 (KCデラックス ヤングマガジン)

 

 

ニートが劇場で「龍の歯医者」を見てきた話

デビュー作からのファンだけど別に発狂してないよ。
もともと「いーから皆密室本とかJDCとか書いてみろって」「ウンコパ〜ン、デ、デレッデ」ってよく言ってたし、
舞城王太郎に振り回されるのは馴れてるし。
こんな奴だけど好きなんだからしょうがない。
型に嵌らないのが舞城王太郎だしね。
プライベートは太田克史が支えればいい。
私達は舞城王太郎文楽=魂を支えるから。
その魂は私から子供へ、子供から孫へと受け継がれていくし、
そうやっていつか舞城王太郎のDNAと混ざり合うから。
それがファンと舞城王太郎とのEternalだし。

 

あらすじ
彼の国には龍が棲んでいる──
神話によれば、古の人々との契約により、龍は人を助け、人は龍を助けるという…
舞台は “龍の国”。
主人公は、国の守護神 “龍”を虫歯菌から守る新米・歯医者の野ノ子。
隣国との戦争が激化する中、ある日彼女は、龍の歯の上で気絶した敵国の少年兵を見つける。
少年の名はベル。
大きな災いの前に龍が起こすと言われる不思議な現象で、巨大な歯の中から生き返ったものだった。
自らが置かれた状況に戸惑うベル。そして彼を励まし、彼を龍の歯医者として受け入れる野ノ子。
激しい戦いに巻き込まれながら、二人はやがて自らの運命を受け入れて行くことに…

  

  舞城王太郎好きを名乗るからには、観に行かないわけにはいかないだろうと新宿のバルト9へ参上したのが最終日。もっと上映したての頃だったらでかいスクリーンで観れたのに最終日にもなると小さなスクリーンだった。くやしいけど、しょうがない。土壇場になるまで観に行くか迷っていたし。テレビで放映されたのを録画して何回も見てるのにわざわざ同じ映像を交通費かけて東京まで観に行く必要あるのか?俺はニートなのに、舞城王太郎の追っかけをしてる場合じゃないのでは。いや冷静になったらおしまいだ。舞城王太郎 a GO!GO!こんな機会はもう無いかもしれないし、ここで見なかったら一生後悔する。よし、行くか。新宿駅からバルト9に向かう途中、無印良品でアーモンドオイルで手の保湿をした。無印良品を見かけるたびにテスターのオイルで手の保湿をしてしまう習慣が俺にはある。手がしっとりしたので良い気持ちでバルト9にたどり着いた。新宿駅の映画館はシネマカリテか武蔵野館かピカデリーしか行ったことなかったのでバルト9はまだ未踏の地であった。チケットを見せてシアター入る前に入場者特典の色紙を貰った。最終日なのにまだ余ってるってよっぽど人が来てないのかなと心配になった。いざ鑑賞。何回も観ていた話だけど、劇場で見ると音響の迫力がすごかったので、元はとったなという感じがあった。

 

  せっかくなので、「龍の歯医者」の感想をひとつ書き残しておこうかなと思ったけど、あれこれ悩んでいるうちに一週間が経ってしまった。どうにも書きあぐねる。本編、何回観てもよく分からない場面とかあって、それについて解釈とかめたふぁーとかそういった小難しいことを書きたいなと思ったけど、頭が悪いからうまく文章にできない。好きなシーンの話とかします。

 

   DAOKOの「かくれんぼ」が流れてるところが好き。なりゆきで龍の歯医者やらされることになったベルがちょっとずつ歯医者連中と馴染んでいく雰囲気が絵から伝わってきてほほえましいったらないよもう。何回見ても多幸感がやばかった。ベルがかわいいんだ。ベルが。舞城王太郎の書くキャラでここまでヘタレキャラって珍しい?言葉抜きで登場人物たちの関係性、距離感が深まっていくの観客にそれとなく示せるのがアニメの良いところだなあと。曲の最後のほうで歯医者たちが並んで夕陽を眺めてるシーンの青春っぷりよ。もうマブダチやんけ。良かったなベル、となった。

 

  あと最後のベルが死ぬときのナレーションは舞城王太郎節が炸裂していたし、何よりベル役の声優の演技がすごかったとおもう。淡々と読んでいるのに心揺さぶられるというか。殺戮虫大暴れが作品のムードをどん底まで落としてからああいうナレーションを入れられると涙腺にくる。泣くわ。アニメなのに最後にドラマ部分にきゅっと落とし前つけるのが「言葉」っていう。舞城王太郎め、良いところかっさらいやがって。

 

  ベルの他に好きなキャラは佐藤修三か。最初当たりきついしすぐ憎まれ口たたくしうざい先輩感あるけど、ベルに手を差し伸べる場面とか見るに超面倒見良いやつ。最後の最後に漢見せるのがマジ兄貴。修三が死んだあとにベルが献杯で憤るのも良い。本編の中では少ししか描かれてなかったけどちゃんと君たち仲良くなっていたんだね、て思っちゃう。

 

  「龍の歯医者」初めて見た時、斬新だなーって思う部分とどっか懐かしいって感じる部分が両方あって、斬新だなと思ったのは龍の歯の中を死者の魂が通っていくって設定。まったく意味がわからない。なんで歯なんだろう。奇想すぎる。歯の中に入ると「キタルキワ」を知ることが出来るっていうのも面白い。死者の魂が通る歯の中に行くってことは一回死ぬのと一緒なわけでしょ。ベルみたいなイレギュラーな黄泉がえりであっても有無を言わせず歯医者に任命されるってことは「一回死ぬ」っていう行為が歯医者の仕事にどういう意味を持つのか。虫歯菌が死んだ人の感情が生み出した荒魂だとするとそれを退治するのに一回死んで蘇ったことによる霊的な力が必要になるとか?龍の歯医者の身体能力がやべーのも龍の近くにいると力を貰えるからっぽいし。あの変形する武器もなんなのだろう。あのままずっと働いてたらベルもあの武器もらえてたのか。前編の天狗虫を退治する所はまるでモンハンみたいに戦ってて面白かった。修三がシビレ生肉。

 

既存の作品を思い出してしまうような部分があちこちにあって、俺のなんとなくの連想かもしれないけどそこが懐かしかった。

そのうえで、「エヴァ」のファンのみなさん向けにひとつ。
野ノ子たち歯医者が日々退治している「虫歯菌」が出て来るのですが、その虫歯菌がちいさい「使徒」みたいなんです。味というか…「やっぱスタジオカラー作品はこれじゃなきゃ!」っていう要素がいっぱい出てきて。それは「エヴァ」の作風からつながっている感じがあって。たまたまなのか狙いなのかわかりませんが、ちょっと嬉しいですね。
虫歯菌がニュモニュモって出てきたら「待ってました!」って、ちょっとコアを探しちゃうような気持ちになりますよ(笑)。

夏目柴名 役
声優 林原めぐみ 

  林原めぐみさんはインタビューで虫歯菌がエヴァ使徒に似てるって言ってたけど、俺はエヴァっぽいとはそこまで思わなかったな。殺戮虫が暴れてる場面は旧劇みたいだったけどそれくらい。

 

千と千尋の神隠し

 泣きながらおにぎりを食べる所が似てると思った。異常な状況に陥って混乱してるのを食事がいったんフラットな状態にしてそっから感情が溢れてくるみたいな演出。超常的な存在を日常的な所作で世話をするっていう部分。それが「千と千尋の神隠し」はお風呂で、「龍の歯医者」は歯の掃除。あと歯医者の住んでる建物の感じがまんま千が寝泊まりしてた部屋に似てる気がする。大部屋で雑魚寝するあの感じとか。舞台は超ファンタジーなのに日々の生活にどことなく合宿っぽさがある。あと龍の歯が怪我したときに血がドバーッと出て歯をロープで支えようとするところとかも「千と千尋の神隠し」の腐れ神の自転車引っ張り出すシーンを思い出してしまった。ベルが千尋なのかな。

 

皇国の守護者

  漫画版しか読んでないのであまり詳しくないけど、龍と人とが契約してて、その契約が戦争に関わってくるという設定。日本とロシア風の国架空戦記であることとか。軍艦とか機関銃がある時点で「龍の歯医者」のが近代よりだけど。階級だけのボンボンが敵地のど真ん中で怪我人を世話してて逃げ遅れるっていうシチュエーションは共通してる。階級はないけど部下の心を掌握してるカリスマ軍人がそのボンボンを殺すことになるところとか。「皇国の守護者」漫画版だと龍はまったく戦争の手助けしてくれないけど、「龍の歯医者」だとガンガン軍事利用されてるな。背中に軍艦みたいなのが色々くっついてるし。龍の力ってなんなんだろう。ブランコたちが「銃が使えなくなる(暴発する)」みたいなこと言ってたけど、そんな便利能力あったらそりゃ強いわな。人の魂や死の運命を司る神様みたいな存在なのにかなり一方的に龍の国の人間が使役してる風なのが気になる。それも親知らずで契約してるおかげなのか。

 

 あとは、舞城王太郎の今までの作品の要素もわりと散りばめられてました。

ベルが言及する馬(舞城作品だと衝動とか生命力について語る時によく登場する気がする)とか柴名姉さんの「人は何かを選択しながら生きている」っていう台詞(『みんな元気』)とか光る虫歯菌(『好き好き大好き超愛してる』のASMA)とか、ああそう言えば『ビッチマグネット』で「人のゼロは骨なのだ。」という文章があるけど、「龍の歯医者」において死者の魂が行き着く場所が歯の中なのと関係があるのだろうか、など。

 

  1番気になったのはベルの拳銃が物語の要所要所で意味ありげに登場するのには、どんな意味があったのだろうか。「そんくらい考察しろよ」って言われてるみたいでくやしいけど、まったく分からない。ベルの最初の死によって失われた尊厳とか誇りとかそういったもののメタファー?だとするとせっかく取り戻したのに1番最後にポイっと投げ捨てられたのが悲しい。でも歯の中を通りすぎるときに重かったり要らなかったりしたものが遺品として歯から出てくるんだっけ。拳銃を取り戻したことが重要であって、拳銃自体はベルにとって余計なものだったてことかな。死体も消えて(これも謎。黄泉がえりだから?)誰にも死んだことに気づかれないベルが切ない。

 

 この街は悪疫のときにあって 僕らの短い永遠を知っていた

僕らの短い永遠

僕らの愛

僕らの愛は知っていた 街場レヴェルののっぺりした壁を

僕らの愛は知っていた 沈黙の周波数を

僕らの愛は知っていた 平坦な戦場を

僕らは現場担当者になった 格子を解読しようとした

相転移して新たな配置になるために

深い亀裂をパトロールするために

流れをマップするために

落ち葉を見るがいい 涸れた噴水をめぐること

平坦な戦場で 僕らが生き延びること

『THE BELOVED(VOICES FOR THREE HEADS』 WILLIAM GIBSON

 

 

「龍の歯医者」 Blu-ray 通常版

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