コンテンツ化された苦悩

憎み憎まれて生きるのさ

23歳ニートの人生がダメになっていくドキュメンタリーです

元カノがくれたもの② 『PORTERの長財布』

 思ひつつ寝ればや人の見えつらん 夢と知りせばさめざらましを

小野小町)

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 この前の記事を書いた夜に、夢を見た。

 元カノのアパートに遊びに行く夢だった。ブログを書きながら頭の中の封印されていた思い出を引っ張りだしているうちに引っ張り出しすぎて夢に出てしまったみたい。大学の時に元カノが1人暮らししていた家はコンクリートがうちっぱなしの天井裏のような部屋で、陽当たりが良かった。陽当たりのせいか程よい狭さのせいか、飼ってる猫の匂いのせいかやたら安心感のある部屋だった。いつも元カノの部屋に遊びに行くたび俺は眠くなってお昼寝をしてしまう。遊びに行ってんだか寝に行ってんだかわからないくらい寝まくっていた。普通の意味で。そんでお昼寝から起きると元カノがニコニコ生放送とかそういったのを熱心に見ているわけですよ。ニコニコ生放送。まいっちゃうよ。本当。

 夢に見たのは、もう少し恋人っぽい感じでベッドの上でねっころがりながら2人でハグしながら言葉を交わしていた。なにを話していたかはわからないけど楽しそうにしていたのは覚えている。2人の関係がうまくいっていたときの経験を脳内が多幸感たっぷりでリプレイしてくださった。だから起きた時あまりの落差に、「ああ、これが現実かよ」と思って死にたくなった。夢から覚めるといつも決まって切なくなるのはなぜだろう。   

 彼女いない時にはQUEENの「somebody to love」という曲が心に沁みる。もちろんメロディーも素晴らしいけど、歌詞が特によい。毎日クタクタになるまで働いている男が神様に向かって「どうか僕に愛する人を見つけてください」と切実に祈る。優れたポップソングでありつつ個人的な感情移入の余地がある。むしろ「この歌に歌われてるのは俺なのでは」という勘違いをしてしまうくらい恋人いない時の虚しさや、それが一周回って自己陶酔みたいなっちゃう生々しい感覚のリアリティ。本当に良い歌詞だ。熱心に働くことと恋人を求めることはあんま連関がないように思えるけど。俺も働き始めてから「なんで俺は恋人もいないのにわざわざ働いているのだろうか」という気持ちになることがある。仕事がしんどいけど打ち込んでるわけでもなく、その先に何もない。契約期間の終わりくらいしか楽しみない。土日にたまに友達と飲むくらいか。でも仕事つらすぎて一旦酒飲むと潰れる一歩手前くらいまでノンストップでいく破滅的な飲み方しか出来なくて、それで友達かなり減った。大学生の時とは違う感じで酒の飲み方うっとおしいやつに成り下がったようだ。

 元カノからもらったものを振り返りながらマインドを鍛えるつもりが、夢に出てきたくらいで心乱されてるようじゃ先が思いやられる。そんなわけで今回はこちら。PORTERの長財布

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 いつもらったかと言うと、付き合って初めての誕生日だったかな。今俺の手元にないので写真も記憶を頼りにGoogleで探してきました。CURRENTというモデルらしい…です。

吉田カバン・ポーター カレント】
オンオフに幅広く使える上品なエンボス加工を施したレザー小物のシリーズ「ポーター カレント」。
ビジネス/フォーマルにも使えるデザインでありながらブランドがさりげなく伝わるアイテムというユーザーからのかねてより高かった要望への回答としてお馴染み「PORTER」ロゴをオリジナルの金属プレートで表現しました。
専門のメーカーによるシャープさと高級感を感じさせるシルバーのプレートは凪をイメージした革にもしっとり馴染み、幅広い年代の方にご愛用いただける上品なアイテムの誕生となりました。
カラーが選べるのも嬉しいポイント。

 革に加工がされてて、ザラザラとした独特の手触りがある。シンプルな長財布。かなり丈夫そう。

 使ってみた感想とか使い勝手などを書かないといけないのだろうけど、残念ながらそれはできないのです。何故か。一回も使わないうちに友達にあげてしまったからだ。もらった時に使っていた財布が割と新しかったから「もう少し経ったらこれ使うね」って約束したけど、その間に一回別れてその時に新品のこれを持ってるのが嫌で友達に「これあげる」とプレゼントしてしまうという。その半年くらい後にまた元カノと付き合い直した。もらいはしたけど一回も使わず横流しとかlika aキャバ嬢。申し訳ない。

なんで別れたんだっけ。たしか2年生になって向こうが一緒だったサークル辞めて別のサークル入ったり、手繋ぐの嫌がられたりしてイラついて俺が「手繋ぐの嫌なら付き合うのOKすなよ」とか怒って連絡しなくなったのがきっかけだったと思います。俺、なかなかのクソ。その後に2年生の冬にまた付き合うのですが。今となってはそこで別れておけばという感じがなくもなくもない。

 再び会うようになったきっかけはなんだっけな。たしか俺が同じサークルの人と2年生のとき一瞬付き合ってすぐ別れてそのあたりで、「借りてたもの返す」みたいな連絡が来て…とかそんな感じだったようです。

 このPORTERの長財布、付き合ってまもなく迎えた俺の誕生日に多分向こうが苦労して選んでくれたんだろうな。今思い返すと。たまたまその時使ってた財布が買い換えたばっかりだったので日の目を見ることはなかった。こういうのって自分が既に新しいの使ってる時も彼女からもらったの優先で使って今使ってるやつを後で使う用に回すとかそういう配慮が必要だったのだろうか。今頃こんなこと言っても遅すぎる。デザインもなかなかカッコいいので今もらったら普通に使いたいな。こういう後悔もあるので別れても元カノのプレゼントは手放すのはもったいないと思う。

夢で逢えたらいいな 君の笑顔にときめいて
夢で逢えたらいいな 夜の波をこえてゆくよ

夢で逢えたら銀杏BOYZ

 



 

元カノがくれたもの①『クレヨン王国 まほうの夏』

恋人のいない時代は不幸だが、恋人を必要とする時代はもっと不幸だ。

 愛が足んねーんだよ。愛が。

 彼女から別れを告げられて(一方的に罵倒されたあとにLINEをブロックされて)から1年と数ヶ月が過ぎた。君と別れて僕は石ころになって蹴っ飛ばされて転がって疲れた。出会えた喜びはいつも一瞬なのに どうして別れの悲しみは永遠なの。と銀杏BOYZのようなことを考える日々であります。『水没ピアノ』という佐藤友哉先生の傑作ミステリ小説があって、その中の語り手の1人が「別れた恋人が死んだとして、その人が生き返ってもう一度自分と付き合ってくれる券とその人より可愛い別の人と付き合える券を渡されたらどちらを使うか」を悩むシーンがあった気がする。俺は圧倒的に後者。っていう。前に付き合っていた人の悪口は言わないけど。別れた今思い返すとなんというかお互い少しずつ無理してた気がする。

 別れてから今に至るまでに23歳の誕生日が巡ってきて、あっという間に一年が経ち、もうすぐ24歳になる。なんかこれじゃ全然彼女のこと忘れきれてないやつみたい。なんなんだこの乾燥しきった23歳。人生で最も気力、体力が充実してるはずの23歳に誰とも付き合わずニートしてて一時的に就職しても相変わらず冴えないボンクラだし、それは俺の自業自得ではあるけど、正直さびしい。

 さびしいっていうか。俺は女の子と遠い所で思春期を過ごしたため「モテたい」だの「やりたい」だのそういう感情を恥ずべきもの、ピクニックのついでに草原の野井戸に打ち捨てておくべきものだという風に感じていて、女の子へのアプローチの仕方が全くわからない侍。エロゲー世代のスティグマエロゲーしたことないけど。

 23歳なのになあ。誰も俺のことを好きにならないみたいだ。世界中がアイ・ヘイト・ユー。そしてその23歳ももうすぐ終わる。こうやって若さを一人ぼっち腐らせて、死んでいくのかと思うとむなしくなっちまわあ。

 「わたしが一番きれいな時を見てもらえない」って台詞なんかの映画か漫画になかったっけ。留学かなんかで離れ離れになるシチュエーションのカップルが言いそう。いや23歳のニート野郎にきれいな時など一度だってなかったんだろうけど、これからはきっと汚くなり続けるだけなんだ。

 ニート。23歳。冬。己の恋愛偏差値の低さとスペックに限界を感じ悩みに悩み抜いた結果、俺がたどり着いた結果は感謝であった。自分自身を育ててくれた元カノへの限りなく大きな恩。自分なりに少しでも返そうと思い立ったのが感謝のブログ更新。気を整え 拝み 祈り 構えて 書く。決して未練タラタラなわけじゃないです。あえてネットの海に自分の恥部を投げ入れて心を鍛えようとしているだけです。この修行が終わったらもう一回り大きな男になっているはず。

 あなたがわたしにくれたもの。キリンが逆立ち舌ピアス。っておいおーい!金原ひとみかっつーの。ジェットにんぢん。恋人と別れたあとにそれまでもらったプレゼントをどうするのかは未だ人類を悩ませ続ける難問なのですが、あえて新しい解決策を提示したい。ブログに書こう。

愛するものが死んだ時には、
自殺しなけあなりません。
愛するものが死んだ時には、
それより他に、方法がない。
けれどもそれでも、業が深くて、
なほもながらふことともなつたら、
奉仕の気持に、なることなんです。
奉仕の気持に、なることなんです。
「春日狂想」 中原中也

 もらったモノに罪はない。たとえ関係がどんな醜い終焉を迎えたとしても。ベランダに立って胸を張ればいい。ありがとう物質主義。あなたとは別れても、あなたからもらったものからは別れられないみたい。むしろ余裕で他の人におすすめできちゃう。ブログに書いちゃう。

そういうコンセプトでしばらくブログを更新していこうと思います。元カノから貰ったプレゼントを思い出とともに振り返ることでリアルな恋のリアルな死を、読んで体感できる画期的なコンテンツだと自負しております。ぜひ、これを読んでいる諸君も購入してみればいいと思う。

 前置きが長くなってしまった。

 俺が元カノから初めてもらったのは

クレヨン王国 まほうの夏』

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 大学一年生のクリスマス・イブに山下公園で夜景見ながら交換した気がする。寒かったこと以外はあまりよく覚えていないけど。大学一年生のクリスマスにもらいました。なんで?「わたしが今まで読んだ中で一番好きな本だから…」とのことです。怖い。子供向けってジャンルに収まらない児童文学の傑作なのかしら。と思ったけど普通に子供向けでした。

内容紹介

楽しい夏休み、6年1組の24人は、箱根の芦ノ湖畔のロッジでにぎやかに合宿。ハイキングコースで、にわか雨におそわれた清太と麻美は、クレヨン王国の落としもの「水色大福」を発見します。大福の親になった2人は、王国の秘密を守りながら、クラスメートの幸子を誘拐した犯人さがしをすることに……。クレヨン王国シリーズ推理小説仕立ての10作め。

 なんで人にプレゼントするのにシリーズ10作めをチョイスするんだろう。とか至極当然の疑問が湧いて出るのを抑えて必死に読みましたよ。彼女から貰った初めてのプレゼントですから。でもやっぱ途中からだと世界観が全く分からない。クレヨン王国といえばアニメ版の「ン・パカマーチ」しか知らないので、いつあの女の子出てくるのかなーと思ったら最後までついに出て来なかった。はあ?  ていうか話自体現実世界が舞台で「じゃあン・パカ マーチの世界観は!?」という気持ちになった。結局クレヨン王国シリーズ貰ったこの一冊しか読んでないからアニメ版と小説版の世界観のズレが俺の中で納得できていない。

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 ストーリー自体は小学生がキャンプ中に大福という不気味な物体(色が同じならなんにでも変身できる生き物)に出会って育てるうちに、悪と対決していくという流れ。マイルドな『なるたる』みたいな感じだと思っていただけたら分かりやすいだろうか。結局大福がどういうものかという説明があまりないので最後のどんでん返し的な部分も「それできるなら何でもありじゃねーか」と思ってしまった。また主人公たちが立ち向かう悪が誘拐というやけにリアルな犯罪なのも面白い。

 キャンプ中に主人公の友達が誘拐に巻き込まれてしまうのだけど、それを受けての教師の対応がぶっ飛びすぎてて「まさかこいつが犯人じゃ」って思ったけど普通に違いました。

  1. 生徒が誘拐された翌日にも関わらず他の生徒たちにキャンプ場で自由行動させる。
  2. 生徒に身代金の受け渡し現場を見張らせる。(先生はついていかない)
  3. 生徒に誘拐犯が連れ去った子をかくまっているアジトの場所を探らせる。(先生はついていかない)
  4. 生徒たち数人を引き連れて犯人のいるアジトに突撃する。

 

恐ろしい。

 

「だって、あんまりだわ。虫になったら、つかまえられる。花になったら、ちょんぎられてしまう。人間って、根性わるいね。きらいだ。本能的に、わるい」

クレヨン王国 まほうの夏』 福永令三

 

クレヨン王国 まほうの夏 (講談社青い鳥文庫)

クレヨン王国 まほうの夏 (講談社青い鳥文庫)

 

 こんな適当な感じになったけど、需要があれば続く…かも。正直初っ端にこんなトんだ本もらう時点でおかしいと思えば良かったけど、恋は盲目ですね。ン・パカパ。

 

死にたくなるしょうもない日々が死にたくなるくらいしょうもなくて死ぬほど死にたくない日々

まずはじめにブルーがいる。次にホワイトがいて、それからブラックがいて、そもそものはじまりの前にはブラウンがいる。

ポール・オースター 『幽霊たち』

 冬は寒くて嫌だけど、春になって暖かくなるのはもっと嫌だ。桜の花が咲くと人々は酒をぶらさげたり団子だんごをたべて花の下を歩いて絶景だの春ランマンだのと浮かれて陽気になりますが、これは嘘です。なぜ嘘かと申しますと、ニートが人づてに紹介してもらったジョブがちょうど桜の花咲く頃に契約切れになるから、です。

 契約が終わって今の仕事を終えたその先はなにをしていいやら全くわからない無職期間に突入するわけです。これよりさき怪物領域。本来なら、在職中に次の仕事を探すのがセオリーなのでしょうが、俺は人が普通にできることがいつも全然できなくて、だからこんなフラジャイルでセンシティブな職務経歴になるんだよ。

はっきりさせなくてもいい

あやふやなまんまでいい

僕達はなんなとなく幸せになるんだ

ブルーハーツ「夕暮れ」

ああ なんとなく僕たちは大人になるんだ

ああ やだな やだな

なんとなくいやな感じだ

銀杏BOYZ 「なんとなく僕たちは大人になるんだ」

 はっきりさせなくていいのか。あやふやなまんまでいいのか。僕たちはなんとなく幸せになるのか。なんとなく大人になるのか。だがしかし。だがしかし!クリスマスイブの夜に1人で家系ラーメンにほうれん草トッピングしてニンニクわっさり入れて食べて、BOOKOFFで3時間くらい立ち読みしちゃう系男子もこの世界の片隅で勝手にふるえているのに。なんとなくいやな感じだ。

 そして人生は続く。続いてしまう。

 俺は今、新潟の祖母の家にいて紅白歌合戦を見ながらこの文章を書いていて、今年が終わるのをぼんやりと待ち構えていてやるせない。23年間生きてきてかなり慣れてきた。こうやって年が明けて、また1年が始まって、なにか良いことがこの身にふりかかってほしい。仕事を辞めてのんびりしたい。仕事。俺の人生をめぐるあれこれの中でもっとも忌避したい出来事なのだわ。生まれながらにしてニートニート界のサラブレッド。

お前は今腐りかけている

自分でそれが分かるだろう

お前が見たものはみんな

お前を忘れるためにある

お前が触ったものはみんな

お前を失くするためにある

三上寛 「華麗なる絶望」

 ブログに書くことないな。ニート時代に熱中していた映画も漫画も接する時間が激減した。仕事始める前は「ブログの書くネタになるわ」って正直ワクワクしてたけど、シャレにならないくらいしんどくて書く気がしない。もちろん書かない方がいいんだけど。なにか書いたりするとしても半人前の俺が茶化していいものじゃないと思った。俺にできるのは、体のいいサンドバッグになることくらい。ボコボコにされるのなら得意だ。最終ラウンドのゴングがなった時に立っていられたらゴロツキじゃないと証明できる。

 

 俺の最近の失敗のことなら話せるかな。

 年末、ちょっとした忘年会で大学のときの友達数人と酒飲んで、終電逃してその中の1人の家に泊まることになった時に、俺がその中の女の子にかなり露骨にセクハラしたらしい。「らしい」という他人事な感じは酒に酔っていてほとんど記憶がないからで、もうそういうところが自分で自分を殺したいくらいうんざりなわけです。しかもその女の子彼氏いるし。よくわからない。記憶が全くなかったから次の朝は普通にしてたけれど色々断片的に思い出されてくると、もう怖くて話題に出せないし謝れない。人の家でなにしてんの俺。クソ オブ クソ。他の人がいる時だったのかな。死にたい気持ちいっぱいで反省中の毎日です。その子にはもう二度と会うことはあるまい。大学の時から仲良くしていた友情が一夜でぶっ壊れることあるんです。酔いつぶれた女の子とラブホに行って何もしないことあったくらいだし自分のこと紳士だと思ってたけど、なんか一皮剥けば畜生なんだなっていう実感があって。あとキャラちげーよ。現実の身近な人が言う生々しい下ネタすごく嫌いなのに。下ネタ嫌いなのに酔って一番下品になるのは俺だったという。

 「パンティストッキングのような空の下」という漫画の中に「唯一者たち」という物凄く傑作の短編があって、その中で主人公であるロリコンが、(自分が過去に傷つけた被害者のことについて)「自分の苦しみしか苦しめないのが辛い」というようなことを言う。本当にそうだなと思ってしまう今日この頃です。

 

わたしにはそれが信じられなかったわたしにはただもうそれが信じられなかったただもうそれを信じることができなかったわたしにはわたしにはわたしにはただもうそれが信じられなかったそれが信じられなかったそれが信じられなかったわたしにはただもう信じられなかったそれが信じられなかったそれが信じられなかったわたしにはわたしにはただもうわたしにはただもうできなかったわたしにはただもうそれが信じられなかったそれを信じることができなかったわたしにはそれが信じられなかったそれが信じられなかったそれが信じられなかった

 

 

うめざわしゅん作品集成 パンティストッキングのような空の下

うめざわしゅん作品集成 パンティストッキングのような空の下

 

 

 

言葉は学校の中にいる23歳のニートのようだ。

 

そこで僕は1302曲を書き、そんで43800本の煙草を吸い、5009回手を洗って、306回泣き、64匹のアゲハに名前をつけ、2人愛し、5人憎み、46回飛んで、3回ジグソーをあきらめ、752冊のマンガを読み、4042錠の安定剤を飲み下しながら、四六時中こっから抜け出す方法を考えた。

バニフォーおもちゃ工場の連中だよ!~露コナツ最初の日~

 

 稀代のクソ教師。イッツミー。

 ぼくが仕事を辞める理由はだいたい100個くらいあって1つ目は板書の字が汚すぎて生徒に死ぬほどバカにされること。とにかく仕事はもう限界。やってられっか。アイム プリティー ファッキン ファー フロム オーケー。原付に乗って旅に出たい。

 ニートしていた所為で人間性が腐って乾いて粉になって風に吹かれて飛んでいった。それが何の因果か仕事にありついて今こうして毎日元気いっぱいに心を消耗させている。ありがとう運命。パーティーは終わった。回るターンテーブルを止めて安定を選ぶ俺は社会適合者。泥水からシャンパン。カップスターからロブスター。

 と言っても、このさきずっと働けるわけでもなく、あと数ヶ月でこの職場ともオサラバしないといけない。花に嵐のたとえもあるさってか。

 このお仕事もニート脱出のための足掛かりとして、飛び込んでみたわけなんだけど、致命的に自分に向いていないということしか分からなかった。俺、もともと会社3ヶ月でやめるような人間なので、人前に立つ資格なかった。情けねーよ。

 とにかくね、働いてるんだからね、いんちきをやっているのに違いないのさ。

 まるまる一年間何もしてなかったニートがこなすにはハードな職場すぎない?野山でのんびりしていたタヌキが街におりてきてみたら心無いこどもたちにエアガンで狙い撃ちされるみたいな毎日なんですけど。

 働き始めてから対人ストレスが300倍くらいにはなった気がする。ニート時代は誰にも会わなかったから寂しさを我慢すればあとは気楽なもんでした。今は、もうだめだ。人多すぎ、学校。常に誰かが近くにいて、それだけでしんどい。いつからこんなに人間嫌いが悪化したのか。ニート時代に自己肯定感を喪失して、職場ではそういう卑屈な面を隠さないといけなくて、最後の方の歯磨き粉絞るみたいなから元気の出し方が精神に負担をかける。それでも周りの人から、「暗い」とか「無口」とか言われっしね。ブルーハーツのチェインギャングを聴いてくれ。どこでもいつもだれとでも笑顔でなんかいられない。

 教師として必要な資質をなにひとつ持ち合わせていない。メンタルもスキルも何もかもが足りない。仕事にまつわるなにもかもが怖い。生活の中に、光射す瞬間がこれっぽっちもなくない?働くってこういうもんなの。ぼくわかんないです。

 クソ寒い朝起きて、ださいスーツに着替えて夜明けの薄暗いうちに家を出て養鶏場みたいな満員電車乗って、職場じゃユーレイみまんの扱いで、なんもできないまま一日が終わる。ゆで太郎でご飯食べれば券売機にお釣りの500円玉取り忘れるし、BOOKOFF志村貴子の「青い花」を108円だと思ってレジ持って行ったら500円で焦るし、生徒には「先生は頭がおかしい」とか言われるし全てが俺をくるしめるためにプログラムされてるよ。

 23歳のリアル。

 クリスマスイブもクリスマスも結局誰とも会わず、何もせず寝てました。この先、恋人とか出来るわきゃないな。HUBやクラブに行って女の子ナンパしに行こうと思ってあれこれしてた事もあったが、ものすごくみっともない結果に終わったので俺はもう。もうね。毎日何のために働いているのか。ハートに火をつける何かがあるでもなく。仕事、仕事。その仕事すらがんばれなくて。トカトントンという音が聞こえてきそう。

 中学生のとき、「学校が爆発しないかな」って毎朝思ってて、実を言うと今もそう思っているのだよ。こんな学校嫌いのやつが教師やっちゃダメだよなあ。でも嫌で嫌で泣けてくる。本当に閉鎖的で息がつまりそうだし、何の意味があるんだよって問いかけたくなるようなことがたくさん。子どもたちフラジャイルすぎ。無駄にイノセントすぎ。自分より頭のいい生徒と接してると自分の立場に後ろめたさを感じるし、自分より頭の悪い生徒と話しているとかなしみが尽きない。

 そもそも教えるってどういうこと?

 教えてもらいたいのはこっちなんだけど?

 俺のこれからの人生はどうなるの。未だ見ぬ運命の人はどこにいるの。先生だって広大な宇宙の謎に迷いっぱなしのドリフターなんだよ。黒板の字汚いくらいでそんな言わなくてもいいじゃん。

 

 メリークリスマス&ファッキン ニューイヤー。

 だれか俺をこの檻から出してくれ。 

 

あかん

泣き喚き血が吹き出す
男子はみんな獣やから
彫刻刀で刺したんよ
教室ん中鉄棒の匂い
せやけどさあたしらさ悪いことはしてへんで
先生なんで泣いてんの?
先生なんで泣いてんの?

先生あんた教室に
あたしら詰めてどうすんの?
こんな中で愛し合え?
命の尊さ教え合え?
笑かすなあ
先生さ
なんでそんなん言えるんよ

「告げ口」

 

 

痛くない死に方

痛くない死に方

 

 

NEET IS MURDER(ニートは殺人)

明日から働くことになった。今日がニート最終日。いちおう。

七つの大罪でいうところの怠惰を体現してきたような一年だった。「セブン」だったら一年間ベッドに括りつけられて衰弱死させられてもおかしくなかった。

長い時間をかけて波と砂浜に割れたガラスの破片がゆっくりと磨かれるみたいに、ニート生活を経てちょっとずつ俺のメンタルがすり減っていった気がする。

働いていた時のメンタルの削られ具合がプロレスラーの林檎潰しくらいだったので、消耗の度合いとか瞬間最大風速で言うとマシであったと思うが、結局どんなふうに生きてみても大人になればこんなもんなんだろう。

すり減らすべき自意識が過剰すぎる。どんなに落ちぶれてもまだ自分にへらへらと期待できるのは、たぶん本当に俺がバカだからなんだと思う。

死ぬほど働きたくない。

どんな風に生きていても、こういう境遇になっていたんだろうか。今まで出会ってきた知り合いの中にニートは一人もいない。つまり、俺は今まで知り合った人全員より社会性が足りてないということなんだろうか。ダメ人間一等賞なんだろうか。

明日から働くのになんで、もろもろの準備を後に回してブログを書いてしまうんだろう。8月31日に呑気こいて昼間漫画読んで夜に泣きながら宿題をやる小学生のマインドから一歩たりとも進歩していない。

人より生きる気が足りない。

働いてる人すべてが超人に思える。そして、自分も明日からそうならないといけないのに、無理だ。また、何もかもが台無しになってしまう気がする。というかそうなるんだ。人生なんて。

暇だったので、家にある教育関係の本を読んでいると、俺のパーソナリティー形成の問題に大きく関わっているかもしれない記述を見つけた。

賢明なる読者諸君は、「愛着障害」という言葉をご存じだろうか。

俺も本でちょろっと読んだだけで、得意げに語るほどの知識は持っていないんだけど、ひらたく説明すると幼児期の親の育て方や養育環境のせいで身近な人との愛着(結びつき)が十分に形成されないことによって、大人になったときに様々な問題が生じることがあるらしいのだ。例えば抑圧的であったり過干渉な親の元で幼児期を過ごすとそういうった問題が後になって現れやすくなって色々大変だよ。ってこと。

身近な人との愛着がちゃんと作られないまま大人になると、自分の価値の拠り所を他人に求めるような不安定な精神状態を抱えることになる。それを「不安型愛着障害」と呼ぶそうなのですが、これは自分もちょっと分かる気がする。

常に周囲に気を使い、機嫌を伺ったり馬鹿丁寧に対応したり、迎合したり、不当な要求にも従ってしまうことが多いです。少しでも相手が拒絶的な反応を示すと、激しい不安に襲われ、それを容易に払拭できません。自己価値が低く、他者は自分を傷つけたり非難する存在として捉えてしまいます。子どもの頃はいじめられやすい傾向があります。


 身近な人に依存し、その人に自分の存在を保証してもらうことで何とか、自分のアイデンティティを保っています。自分が気を使っている努力の分だけ相手も自分を重視していると思い込んでいます(もちろん、そんなことはないので、空回りしてしまう)。

 

分かる気がするんだけどもさあ、一般論でいうと親との関係が100%良好な家庭なんてそっちの方が超レアだよな。誰でも大なり小なり「こんな親いやだな」って思いはあって当然なはずだ。程度の差はあれ。俺に当てはまるとしたら世の中のほとんどの人もそうじゃないとおかしい。

自分の子どものころは両親が喧嘩ばっかりしてるのをよく覚えていて、その時の経験から大声を出すおっさんが死ぬほど怖くなって今も苦手だ。でも、他の家庭と比べてどうかは分からない。総合的に考えるとそこまで夫婦仲は悪くないんじゃないか?二人で旅行とかよく行ってるし。ただ両親とも教師なだけあって、ほかの家庭よりも抑圧的な傾向が強かったのは確か。どんなことにも中途半端が許されない雰囲気。行きたくもないスキーの合宿に連れてかれたり(まあまあ、いじめられた)、めちゃくちゃ滑るの下手だったのに無理やり大会に出させられたりした(転んで棄権した)のは本当に今でもムカついている。実際のところ、家に先生が常に二人もいたらどう考えてもウンザリでしょう。

こんなん言っても、血液型診断や病名探しと同じだな。こんな風な理屈付けも。姉は立派に社会人やってるし。自分が今、ダメな理由に名前をつけてほしいだけだ。親とか育ちのせいにして責任から逃げようとしてるだけなんだよね。しっかりせい。

もし「愛着障害」に興味ある人がいたら 

愛着障害 子ども時代を引きずる人々 (光文社新書)

愛着障害 子ども時代を引きずる人々 (光文社新書)

 

を読んでみるのをオススメします。分かりやすくて、タメになります。

 

「生きる気が少ない」とか「しんどい」っていつも俺は癖で言ってしまうんだけど、「生きる気の少なさ」とか「しんどさ」をぶっ飛ばしてくれる「誰か」と出会いたくて、でもなかなかそれが難しいんだよ。結局、本当の本当に他人任せだし、いつもそれで勝手に舞い上がったり落ち込んだり死にたくなったりするから。こういう極端な人間観もちょっとずつ捨てて最初から他人に期待しすぎない方がいいのかも。

 

話は変わりすぎるくらいに変わるけど、古着屋で久しぶりに服を買った。

フレッドペリーのトラックジャケット…とカッコよく言いたいが実際はジャージ。

俺が着るとジャージなんだ。イギリスが舞台の映画を見るとちょっとガラの悪そうな若者がアディダスやらフレッドペリーのトラックジャケットをスタイリッシュな感じに着こなしていて、ジャージかっけえて思ってた。(「キングスマン」の主人公の友達か不良オヤジのグループの誰かがフレペのジャージ着ていた。うろ覚え)そういう感じに憧れて買ったのに俺が着ると見るからに「THE ジャージ」な仕上がりで笑うほかない。デザインの問題なのか、俺の体型の問題なのか。雰囲気がもうマラソン大会の中学生。

 

俺は今までジャージを私服として着たことはなくて、それはなぜかというと、いくらジャージにこだわりを持って着たとしても一見して「だらしない奴」と見なされるリスクを負うのが怖かったから。

でも、よくよく考えると「だらしない奴」に見られて困るのは「本当はだらしなくない奴」だけなんだ。俺はどっからどう判断しても内面も「だらしない奴」だから見た目で「だらしない奴」と判断されたとしても一向に構わない。むしろセルフプロデュースとしてかなり有効ではあるまいか。ファッションで自分の人となりを一発で印象付けることができるならば。もっと「だらしなさ」を推してこう。

それと、似合ってるかどうかは置いといて、自分の憧れていた服を手に入れるのは気分がいい。テンションを高めてくれる。誰かに会いたくなる。ものすごく前向きな気持ちを与えてくれるものだ。たとえそれがジャージであったとしても。はやくジャージの似合う男になりたい。

 

(フレッドペリー) FRED PERRY ジャケット FUNNEL NECK TRACK JACKET SY6231 266 266CARBON BLUE 2-3

(フレッドペリー) FRED PERRY ジャケット FUNNEL NECK TRACK JACKET SY6231 266 266CARBON BLUE 2-3

 

 

ニートがニートやめることになった話

 舞城王太郎の『深夜百太郎』という作品があって、舞城王太郎が2015年5月24日から8月31日の間にTwitterに毎日一話ずつ投稿した怪談を百話まとめたものが本になっている。舞城王太郎のファンを自称しているくせに、なぜか今の今までスルーしていたけど、ニートだし夏だし暇だから小説の感想を、その本の発表形式に倣って毎日一話ずつTwitterに感想を投稿しようかなと思い立ったのが今から約90日前の6月のことだった。その頃の俺には、100日後の自分にどんな未来が待ち受けているかなんて予想もつかなかった。「そんな先のことなど分からない」はハンフリー・ボガートの台詞で、「まして未来のことなど僕にわかるはずもない」は山下達郎の曲の歌詞ですね。未来のことが誰にもわからないのは当たり前で、俺の日々の生活態度のシド・ヴィシャスもかくやという無軌道っぷりはまさにパンク。ナンシーはいないけど。公務員試験を控えていたら、「受かってたらいいなあ」とは思っていたが、人より色んなことを過剰に不安がるくせに、具体的に人生をより良くするために行動しようとかそういう風にはならないからニートなんだよ。

 

 『深夜百太郎』は明らかに百物語を下敷きにして書かれている作品で、俺は日本文学科だったのに全然真面目に授業を受けてなかったので、百物語がなんなのかは一般知識レベルでしか知りません。物語の百話目を語り終わると何か恐ろしいものが現れるという。そういう認識。せっかくだから『深夜百太郎』を読み終えたら、自分で百一話目の怪談を書いてみてこのブログで発表してみようかなどと、うっすら考えていたけど、この本の怖がらせ方のパターンが多様すぎて俺にはとても無理だと思ったのと、公務員試験に落ちたショックでなにも考えられなくなってしまったので、頓挫いたしました。そして、九十数話を読み終えた今において俺はやはり百物語とは何らかの力を持っているんじゃないかと考えるようになりました。百話目の後に何か恐ろしいものが現実になる。こういうことが実際に起こりうるのではないか。ニートにとって一番恐ろしいものは<生活といううすのろ>に他ならないわけです。現実社会のあらゆるもの、あらゆる他人が俺という人間の綿菓子のようなハートを、うんざりさせたり、不安にさせたり、脅してきたりしてくるので、就職をしない、社会に参加しないという逃げの一手でもって平穏を保ってきたのに、ついにそれが破られようとしている。俺はとうとう就職することになったのです。就職を。

 

 働くことになったといっても、ごく短期間なのでそこまで大した話ではないですけど。こういうのは就職というカテゴリーでいいのかな。とにかく期間限定でニートという肩書を捨てることになりました。なにをして働くのかというと聖職者つまりエクソシストですね。ひょんなことからイノセンスに適合したので哀れなアクマに魂の救済を施すことになって首が180度回る女の子と戦ったり…という冗談は置いといて聖職者は聖職者でも、「生徒はミカンじゃないんです」とか言ったりする方。ここにきて悪い冗談だと思う。俺の人生のストーリーライターがコカインに手を出したとしか思えない。考えてみてほしいんですけど、子どもたちを教え、導き、啓蒙する、そういう高尚な職業の人が会社員をたった数ヶ月で放り出したニートであってはいけないでしょう。どう考えても。誰だってそう思う。俺もそう思う。というか公務員試験に落ちてる、自分の設定した目標に全く届かないでこの先の未来が見えない状態のやつがいったい何を教えられるんだって話だ。「夢はかなう」「毎日コツコツがんばれ」とか夢破れて毎日怠けていた俺に言う資格ない。

 

 でも、決まってしまったからには全力を出してやるしかないと思いました。たとえニートでも雇っていただいたからには血反吐吐くまで走りこんで血便出るまで素振りしますよそりゃ。お金をもらうのですから、それなりの仕事を果たさないと「何しに来たんだお前」って言われてしまう。俺の中の全てのめんどくささを封じ込め押さえつけて、頑張らなくてはダメなのだ。乗り越えられる気がしない。生きることがずっと不安で、しんどい。今までそういう気持ちを常に持ち続けてきた。前向きに生きるためのエネルギーが人よりちょっと少ない。それでも、ちゃんとした生活するためには何かをして生きていかないといけなくて、何もなかった俺に役割を与えてくれる場所があるなら、もう一度だけそこで頑張ってみようと思った。でも、本当に不安でしょうがない。

 

 このブログを続けていた理由は、1人でニートやっているのがさみしくて暇だったというそれだけの理由だったけど。これからは多分忙しくなったり、色んな人と出会うことになると思う。「孤独なニートが好き勝手に不平不満を言う」というブログのコンセプトが、根本から崩壊してしまう。今までの抽象的な不安よりは、労働という具体的な負担がのしかかってくる。そうなると、良くも悪くも今まで通りの俺ではいられないし、そもそもブログを書く暇もないか。あまりに自分の身の回りの環境が目まぐるしく変わるので、まだ働いてないけど心が重くて死にそう。公務員試験に落ちたその翌月になんで働くことになったんだろう。いきなりすぎる。よくわからない。

 

 イギリスのピンク・フロイドというプログレのバンドが「あなたがここにいてほしい(Wish you were here)」という曲を歌っていて、それはかつてバンドの中心にいて色々あって脱退してしまったシド・バレットという人物に捧げられたものらしい。

 

つまり、君は天国と地獄の見分けがつくと思ってるんだね、
青空と痛みも。
緑の野原と冷たい鉄のレールは見分けられるかい?
微笑みとベールは?
君は見分けがつくと思っているんだね?

それで彼らに言われて君は
亡霊たちを得るために 英雄たちを手放し
木々を得るために 熱い燃え殻を手放し
涼風を得るために 熱い空気を手放し
変化を得るために   嬉しくもない慰めを手放し
戦いの端役を捨てて 檻の中の主役を取ったんだね? 

  

 ファンでもなんでもないからピンク・フロイドについては詳しくは知らないので、メンバーとシド・バレットの間に何が起きたのかは分からない。けど、そういうメンバーの曲に込めたあれやこれやを知らなくても「いい歌だな」と思う。穏やかなアコースティックギターのバラードで、「かつてそこにいたのに今はいない人」を想う気持ちを淡々と歌い上げる。「ラブソングができるまで」という映画の中で、ヒュー・グラント演じる歌手が「高尚な文学作品なんかよりポップソングの方が多くの人々のことを楽しませてきたんだ」というようなことを述べていて、なるほどと思った。

 俺はピンク・フロイドの「あなたがここにいてほしい」を聴くたびに、自分の人生だとかの「やるせなさ」にひっそりと寄り添ってもらっているような、慰めてもらっているようなそういう気持ちになる。何十年も前の外国の曲がなんでここまでハートを揺さぶるんだろうか。歌詞が普遍的なのにそれでいて、リアルで美しい。

 自分の抱えているどうしようもない空虚な気持ちを分かり合える「あなた」が「ここ」にいないこと。1年間のニート生活でこれほど共感した歌はないよ。本当に。

 

 仕事を始めることになるけども、本当のところはノホホンとした生活がいつまでも続いてほしかった。この一年間は公務員試験に落ちたこと以外はおおむねピースフルにやっていくことができた。ここからは、もうあれだ。<生活といううすのろ>と取っ組み合ってもんどりうって日々を過ごすことになる。扇風機の前に置かれたわらびもちのように震えながら生きていくんだな。少なくとも決められた期間のあいだは。泣きたくなるね。

 

 ブログはどうなるんでしょう。仕事が始まったらどうするか考えます。仕事のこと書くわけにはいかないと思うので、これまで通り漫画とか小説のことなど書くのか、それともまた別の文章を書くことになるのかはまだ決まっていません。それもまた人生なので。

 

「え!?ニートが先生に!?」みたいなブログとか見るからにおもんなさそうだし。

 

 

 

痛みを知らない子供が嫌い。心をなくした大人が嫌い。

俺にはコミック雑誌なんか要らない
俺にはコミック雑誌なんか要らない
俺にはコミック雑誌なんか要らない
俺のまわりは漫画だから

頭脳警察コミック雑誌なんていらない」

 文章としてうまく書けているか、どう読まれるか、を抜きにしてブログに書いてていちばん楽しいのは、漫画とか小説の紹介だ。なぜかというと、自分には漫画とか小説の話を話し合う友達がほとんどいないからで、わざわざ文学部に行ったのにそういう事を話す友達が全く出来ないというのは、いかがなものかと思う。映画サークルに所属していて映画好きの友達はびみょうにできて、大学時代は「この映画があーだこーだ」みたいな話を思う存分出来たので良かったが、漫画と小説の話はほぼしなかった。通ってた頃は知らなかったけど夏目房之介先生の講義とかやってたらしいので、取っておけばよかったな。今さら後悔しても遅いが。ニートになってからyoutubeマンガ夜話ばっかり見てるけど、ああいう(良い大人が!)漫画について好き勝手に議論できる場所って羨ましい。あと「げんしけん」を大学四年生になってから読んだのも、結構重めのボディブローとしてレバーに効いてる。あばら粉砕コース。俺はもしかしたら漫研に入りたかったのかもしれない。絵さえ描けたら漫画作ったりだとか、コミケとか楽しそうだし。

 随分前にブログで書いたけど、穂村弘のエッセイで、恋人の部屋でしりあがり寿の「夜明ケ」を借りて読んでたらものすごいページがあってそのことを興奮しながら恋人に伝えたらそのページは恋人にとってもお気に入りだったので大いに盛り上がりお互いの運命の波長がピッタリ重なるのを感じてシアワセだった…みたいなエピソードがあってですね。そんなサブカルおのろけ話はどうでもよくて、しりあがり寿を読んでる女の子なんてマジでどこにいるんだよって話をしたいわけですね。どこに?いるの?もしもし運命の人ですか?大学の漫研にもいなさそう。穂村弘漫研じゃないだろうし。そのエピソード読んでからしりあがり寿の『夜明ケ』買ってきて読んだけど、そのものすごいページがどこか分かんなかったので俺の運命の波長は穂村弘と全く重なってなかったようだ。「夜明ケ」の中で一番好きな話は『されどコンパの日々』という短編で、その中のライブシーンが(俺的には)ものすごいと思ったけど穂村弘的な正解はどうなんだろう。(エッセイの中では明らかにされない。のろけといてそこ隠すのはズルいと思う)

 俺も元はといえば高校のときの彼女がいままで出会った人のなかでも屈指の漫画好き(センスはともかく自分で買い集める量が高校生のわりに多かったと思う)で、漫画を色々読むようになったのはその人の影響が大きい。彼女が持ってる漫画の大半はそこまで興味そそられなかったけど「HUNTER×HUNTER」だけは、本当の本当に「貸してくれてありがとう」としか言えない。ピクルと闘う前の愚地克巳並みに感謝してる。そこらへんが俺の漫画集めの基準が変わったターニングポイントであります。中学生の頃から「ジョジョの奇妙な冒険(4部)」とか「金色のガッシュ!!」は好きでしたけど。高校はミッション系のくせにというかだからこそというかやたらスクールカーストがきつくてアメフト部に肩パンされまくりで教室で「BANANAFISH」でも読もうものなら「ヘイ!ファギー!」だの「キスマイアス!」だの言われて、結局「BANANAFISH」もくだらん言いがかりつけられる境遇(最初から家で読めばよかっただけだが)で楽しめなくてなんとなく手放したりとかそういう生活を送っていて、「男なら刃牙」「男ならGANTZ」「男ならONE PIECE」みたいなマッチョイズムに弾圧を受けていた時代だった。いやどれも面白いと思うけどさ。当時の俺にとってはクラスメイトのボンクラ共が知らないような面白い漫画を探したり読むことが心のお守りになっていた気がする。俺の漫画の選び方の根底にはこういう逆張り精神が横たわっているのだ。

 とはいえ、自分とセンスの合う漫画好きの人がたまたま身の回りにいなかっただけで、俺自身もそれほど漫画詳しいわけじゃないのも事実。持ってる量もチョイスもガチの漫画道有段者に比べたら「出直してこい」って感じだろうし、萩尾望都高野文子も読んだことない。あくまで俺は俺の好きな漫画が好きなだけだから、そういう大きな意味での漫画好きじゃないのです。まず本当に「漫画道楽」を嗜むなら親の持ってる漫画らへんから勝負始まってる感ありませんか。うちの親はほとんど漫画読まないので、ほぼ高校くらいから自分の育ててきたセンサーで漫画を集めないといけなくて、それでなおかつ語る友達もいないって孤独すぎる。女の子に貸したら返ってこないし。だから漫画のことをこういった電脳上のブログで語りたくなるわけですよ。

 でも漫画なりを取り上げてブログ書くなら書くで「渋いチョイス」って言われたい。アホほど。めんどくさい性格だ。誰かに漫画勧められたとして、その漫画がつまらなくても、「つまんない漫画勧めやがって」てなるけど、面白くても「なんで俺より先にこんな面白い漫画知ってるんだよ…悔しい」てなる。狂ってる?それ褒め言葉ね。

 基本的にこれは俺の承認欲求の問題で、面白い漫画に読んでる時は単純に、頭の中で「面白い!この漫画の面白さを世界で一番ハートに感じているのは俺だ!」っていう電波を受信している。現実がクソほどポンコツな分だけひたすらに虚構に感動しいなんです。漫画を語る友達がいないのも悲しいけど、その電波をうまく言葉に変換出来ない、つまるところ自分が漫画を語る言葉を持ち合わせていないことが一番悲しい。その点、マンガ夜話に出演しているコメンテーターとか穂村弘は凄い。あんな良い大人というかもはや中年のおっさんなのに漫画について、恥ずかしげもなく、めちゃくちゃ真摯に語ったり批評している。ありえないくらい魂の深いところで。それが眩しいしとても羨ましい。

 単なる負け惜しみだが、しりあがり寿を読む女の子はレアだと思うけど、彼女だとしてもあんまり羨ましくない。俺は作品単位でたまに好きなくらいでそこまでしりあがり寿にハマってないから。彼女から借りた漫画にハートを打ちのめされ、その感情を彼女と共有できるといった関係性とシチュエーションが羨ましいだけです。大学の時の彼女の愛読書が浅野いにおの「おやすみプンプン」だったから、借りて読んでも「おぉぅ…」ってなりました。ある意味ハート打ちのめされたけど全然盛り上がらなかった。向こうは俺の「子供は分かってあげない」を借りっぱなしで別れたし、あれからもう一年くらい経ったのね。

 借す漫画だけはあるのに、女子に。

 

俺も 君も そしてみんなも
このへんてこな世界で
これからやっていくわけなんだけど

ゆらゆら帝国ゆらゆら帝国で考え中」

 

夜明ケ (Jets comics)

夜明ケ (Jets comics)